ちかちーの旅log!

logであり、録であり、(b)logである

No.7-8 18きっぷ日本一周8日目 稚内~森(2017/9/7)

早朝5時、宿をチェックアウトし外に出るとちょうど夜明けの空が見えた。

人通りのない早朝の道を歩いていると、昨日気が付かなかったものを見つけた。

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道路標識は多くの場合日本語はもちろん英語が併記されている。だが稚内市内の道路標識はそれに加えロシア語が併記されていた。*1現在も稚内とサハリンのコルサコフを結ぶ航路があるからだろうか。

 

さて稚内駅に到着。まだ窓口は開いておらず、中にいたのは同業者と思しき人が数人いるだけだ。

 

北緯45度25分03秒、日本最北端の駅、稚内。南から伸びてくる宗谷本線の線路はここが終端で、文句なしの日本の北の果ての駅である。

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柱には旭川、函館、東京、指宿*2、西大山、枕崎駅からのそれぞれの距離が記されていた。

どこからの距離でも遠く果てを感じさせるが、中でも私が驚いたのは函館からである。同じ北海道の中だがその距離は703.3kmと東京~青森、大阪~熊本に匹敵するのだ。*3今日はひたすら南下していく行程だが、それでも今日はまだ北海道から出られないのである。

 

最果てに来たという感慨に耽っていると一番列車が滑り込んできた。車両番号を見ると昨日南稚内まで乗ってきたのと同じ車両である。運転手の爽やかなアナウンスの後、ドアが開いた。帰るための南下という名の、3日間の旅の始まりである。*4

 

第1走者:稚内5:20→名寄8:47 4324D

6人ほどを乗せての発車である。昨日の稚内行きでも見かけたが折り畳みの自転車を積んでいる客がいた。

昨日の北上時は雄信内の手前で日没となりそこから先の景色を見ることができなかったが、今日は存分に味わうことができそうだ。

南稚内を過ぎるとまもなく民家が見当たらなくなり、草原の間を抜けていく。民家はおろか道路すらない、抜海原生花園*5だ。かすかに霧がかかっているのがより幻想的な雰囲気を醸し出す。

www.instagram.com

南稚内~抜海にて撮影。今回の旅行中、いやこれまでに色んな路線を通ってきたが、一番美しいと感じた車窓だ。ああ、ここまで来てよかった、と思った。もちろん冬なら一面の雪景色でまた違ったものがみられるのかもしれない。だが、夏のように遠くまで澄んだ景色が見られるわけではないだろう。また夏に訪れたい、そう思わせるほどの車窓をしばし楽しむことができた。

駅の周辺は牧草地になる。牛がのんびりと草を食んでいる様子や、サイロらしきものがちらほら見られるが住居らしきものは見えない。

 

幌延を過ぎると原野を離れる。ちなみに幌延の南側に北緯45度線があるため、駅のホームには「北緯45度、北半球ど真ん中の町」といった立て看板があった。北緯45度というとミネアポリス(米)、ボルドー(仏)、トリノ(伊)あたりとほぼ同緯度である。

宗谷本線は大半が内陸部を通る路線だが、ほとんどが盆地や丘陵地を通る路線である。そのため幌延から名寄まではほとんどが天塩川沿いにある森の中を進んでいく。駅から離れると本当に秘境路線という趣だ。それ故に利用が少なく存続問題が取り沙汰されているのだが。

 

この後は昨日見ることができた区間である。やはり途中駅での乗り降りはなく、置かれている状況の厳しさを感じる。

 

そんなことを考えていると名寄に着いた。ここは賑わっている。

 

昨日ほどではないが時間があるので、駅の周辺を回る。

するとこんなポスターを見つけた。

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昨日の稚内行きの列車でも、今日ここまで乗ってきた列車でもそれぞれ1人ではあるが自転車を乗せた客がいたのはどうやらこれのようだ。確かに急な峠や信号は少ないので時期を選べば楽しめるのだろう。駅にも自転車を持ち込む際の注意事項が書かれたポスターが貼ってある。

 

稚内で買いそびれたので朝食もここで買い求める。とはいえコンビニで買ったパンという何の変哲もない朝食であるのだが。

 

駅の窓口の中を覗くと、血液の搬入予定時刻一覧というものが目に入ってきた。北海道では輸血用の血液を鉄道で運ぶことが多い。今の時期ならトラックでも問題なさそうだが、冬の時期は豪雪で道路が寸断されることがあるから鉄道で運び、いつ何時必要か分からないものに対して安定性を重視しているということだろう。

 

しばらくすると9:56発の稚内行きの特急が入ってきた。名寄で降りたのは20人ほどだろうか。乗った人は数人である。やはり宗谷本線は名寄で人数に段差ができるようだ。

その後乗る列車の改札が始まった。どうやら改札の前の行列はこの列車を待っている人たちである。完全に出遅れた。

 

第2走者:名寄10:07→旭川11:34 3322D「なよろ4号」

稚内から乗ってきたのと同じ車両だった。昨日から3列車連続で同じ車両ということになる。案の定クロスシートには座れず、前の方のロングシートに座ることになった。車内はおばさん達の会話でうるさい。人が多いせいか暑く感じる。

ここまで乗ってきた宗谷本線の北側よりは人の気配を感じられる車窓が続く。とはいえ住宅の数は多くなく、農村地帯が続く。

やはり名寄まではそれなりの需要があるのだろう。それぞれ停車駅ではわずかではあるが乗り降りがある。No.7-7で紹介したJR北海道の輸送状況においても、名寄までは現状のままでも当面はJRが管理できる路線だという。

 

和寒で立ち客が出た。その後も少しずつ人は増え、旭川の街が近づいてきた。神戸は大雨とのことだが、こちらは快晴である。

 

定刻に旭川着。今日は旭川駅周辺を探索する。

 

この駅は「日本最北の高架駅かつ有人駅」*6、「日本最北の自動改札設置駅」である。2011年に改装されていて、北海道第2の都市であり、道北・道東に向かう路線のターミナル駅の風格を兼ね備えた印象がある。

南側が川に面しており、南口を出ると川沿いの遊歩道になっている。犬の散歩をしているおばさんやランニングをしている人を見かけた。北側は街に面していて、バスターミナルや駅前のホテル、飲食店、居酒屋等が立ち並んでいる。とはいえ街のやや外れに駅があるようだ。

 

とりあえず駅前を確認したところで昼飯とする。駅併設のイオンモールのフードコートにしたが、よく考えればもう少し駅前を探索して旭川ラーメンでもよかったような気はする。

 

昼飯を食べた後は駅の中を見てみる。すると駅の中にアイヌ文化についての博物館があった。この辺りのアイヌ文化の遺跡で有名なものだと神威古潭がある。

 

ところで。

見事なまでに真っ赤である。察しが良い方は既にお気づきだろうが北海道の移動は18きっぷでは向かない。そもそも次の記事で説明するが北海道と本州との行き来自体が既に難易度の高い行為なのである。

 

その後もしばらく駅周辺を回っていると時間になった。ホームに上がるとディーゼルカーのエンジンの音が聞こえる。ここは先に述べているものとともに、「営業運転している電車列車の終着駅」としても最北端なのだ。*7つまりここから先へ向かう列車はディーゼルカーである。

だが、電車とディーゼルカーを比べると老朽度合いの差が大きい。電車はすべてJRになってから製造された車両に置き換わったものの、ディーゼルカーの大半は国鉄期に製造されたものである。しかも北海道は電化されている区間が少ないので猶更格差を感じる。もちろん古いものにも旅情を感じさせるものはあるし、改修工事などをして体質の改善には努めている。だが、JR発足から約30年、そろそろ国鉄型の車両を使うのにも限界は来ているはずである。特に自然環境の厳しいJR北海道は言うまでもないだろう。

 

第3走者:旭川13:47→滝川14:38 2330M

一昨日の小樽~札幌以来の電車である。あまり人は乗っておらず、二人掛けの席が広々としている。

車窓は昨日見たものと同じなので省き、今回は自動放送に注目する。

バスにしても、列車にしても自動音声のテープは女性が担当していることが多い。だが、JR北海道、特に電車普通列車と特急列車は男性が担当している。昨日のエアポートでも聞いたが、少し違和感はある。

ところでこちらの動画を見てほしい。

www.nicovideo.jp

 

JR北海道の自動放送のシステムが誤作動を起こし、意味不明な放送が出来上がってしまった。*8内容はともかく、落ち着いた声だとは思う。だがどうにも違和感が拭えない。

 

そんなことを考えながら外を見ていると滝川に着いた。旭川まではウンザリするほど長い乗り換えの時間だが、今日はこの先しばらく短い乗り換えが続く。

跨線橋を渡り、次の列車に乗り換える。

 

第4走者:滝川14:45→岩見沢15:24 2332M

続いてさらに南下する。少しずつ沿線の人口が増えてくるが、やはりまだ田園地帯が続く。北海道は広い。これが道東に行けばもっとそう感じられるのだろうが、生憎と回る時間はない。北東パスや北海道フリーパスあたりで北海道に絞った乗り鉄旅はやってみたいができるのがいつになるか分からない。

 

美唄を過ぎると車内の人も少しずつ増えてきた。この辺りから札幌方面への人の移動が主になるのだろう。

 

昨夜稚内で5時間ほどしか寝ていないせいか眠い。その前の晩の札幌のカプセルホテルでの11時間睡眠はどうやら「貯金」ではなく「返済」だったようだ。

 

岩見沢に到着。この先室蘭本線を進むと距離は短いが本数が少ないので、本数の多い千歳線回りで向かう。

 

第5走者:岩見沢15:35→白石16:11 3446M

小樽行きの区間快速列車だが札幌まで各駅停車なので通過駅とは無縁である。

江別で田園地帯は終わり、札幌近郊の住宅街になる。駅間も短くなってきた。

写真には収められなかったが、こんな駅がある。

大麻」…さて、何と読むでしょう?答えは脚注にて。*9一応由来を調べてみると駅周辺の2つの地名を合わせたもののようだ。だが字面を見ると少しびくっとする駅である。

 

そうこうするうちに白石に到着。住宅街の中の駅であり、あまり知られた駅ではないがここで乗り換える。

次の列車は札幌方面から来る列車であり、札幌まで向かってしまうとその間にすれ違ってしまうのだ。この駅は千歳線函館本線の乗換駅であるため、ここで待ち受ける。

幅の狭いホームに人がひしめき合っている。そろそろ帰宅ラッシュが始まったところだろうか。待っていると小樽行きの快速列車や札幌行きの特急列車が轟音を立てて通過していった。

 

第6走者:白石16:19→苫小牧17:21(17:35) 2782M

 

既にデッキまで立ち客が出るほどの大混雑だ。席が少ないせいか乗車率以上に混雑を感じる。

 

先行列車が遅れているようで、北広島を5分ほど遅れての発車という放送が流れてきた。札幌~千歳までは北海道どころか全国でも指折りの過密区間である。*101列車の遅れがどんどん後続列車に響くのだ。

 

車窓を見ると案外森が多い。もちろん降りる人も乗る人もそれなりにいるのだが、北広島、恵庭、千歳と市が続く割に駅間の住宅密度は低い。

南千歳で新千歳空港への線路が分岐する。まだ今日中に帰れると思いながら車窓を見ていた。着陸態勢を整え滑走路へアプローチしている飛行機が見える。帰りたいと思うのはやはり疲れが出てきている証拠なのだろう。

 

時折徐行していた列車も運行間隔の長い区間になり、遅れを少しでも取り戻そうと飛ばしている。だが、苫小牧の一駅手前の沼ノ端で遅れがさらに拡大する出来事があった。

 

後ろで普通に乗り降りしているだけではあり得ない音が聞こえた。なかなかドアが閉まらず不審に思っていると、「乗客が降りる際に転倒し、靴をホームと列車の間に落とした」という旨の放送が入ってきた。降りて見回してみると乗っている車両の後方でおばあさんが降りた時に足をくじいてしまったようだ。とりあえず応急処置をしてからの発車である。靴は発車してから回収するようだ。

 

結局沼ノ端を15分近く遅れての発車だった。苫小牧で20分ほどの時間がある予定だったので何か食料を買い求める予定だったが断念せざるを得ない。

仕方ないので跨線橋を渡り次の列車に乗り換える。またしばらく電車とはお別れだ。

 

第7走者:苫小牧17:40(17:42)→東室蘭18:45

やはり遅れている函館行き特急を待ってからの発車なので2分ほど遅れての発車だった。車内は半分ほど席が埋まっている。

錦岡を過ぎると市街地が途切れ、草原と国道を挟んで海が見える。だがそういった景色も一瞬で、小さな町が断続的に続く。日が沈みそうな空が紅い。

幌別を過ぎると室蘭の街が近づいてきた。この辺りから長万部までは夜の移動になる。

 

遅れを取り戻し、定刻に東室蘭着。駅前に店がいくつか見えるがここでの乗り換え時間は短いので、跨線橋を渡る。

 

第8走者:東室蘭18:52→長万部20:21 484D

室蘭発の普通列車である。*11車内は下校中の高校生でいっぱいだ。

発車してすぐに煌びやかな室蘭の工場群と白鳥大橋のライトアップが見えてきた。夜の移動というのは一般的に何も見えず苦行に近いものがある。ただ、こうしたライトアップは昼間は見えず、ただ武骨なものにしか見えないだろう。数少ない夜間の移動のメリットである。尤もこうしたメリットが生かせる状況自体非常に限定的なのは言ってははいけない。

 

だが崎守の先のトンネルを過ぎるといつも通りの暗い車窓になる。線路は内浦湾(噴火湾とも言う)沿いに敷かれているのだが真っ暗である。

稀府で少なくなった高校生だったが、次の街の中心である伊達紋別で再び乗ってきた。室蘭で乗っていた高校生より喧しいが高校生ならこんなものだろう。

ただ豊浦を過ぎるとガランとした車内になった。この辺りから海岸近くまで山が迫るようになり、トンネルが増えてくる。近年秘境駅として取り上げられた小幌駅はこの区間にあるが、真っ暗で何も分からなかった。

 

定刻に長万部着。わずかにいた乗客は駅の外へ消えていった。既に駅員はおらず、ただ私だけがぽつんと取り残されてしまった。だが、

前にも述べたが長万部は特急停車駅である。需要の大きな駅ではないのだが*12、まだこれだけの本数があるのに駅を無人にしてトラブルはないのだろうかとは思う。 

 

食欲が今一つ起きないので夕食は飛ばすことにした。6日目にさんざん場所を確認しておいてこの結果である。ただこうなると本当にやることがない。ただ椅子に座っているのも仕方がないので駅のコンコースで体操を始めるという奇行に走ってしまった。監視カメラもないし人通りもいないので何ら問題はない…はずである。

駅前をぶらついても特に見るものもないので駅に戻り、ベンチでスマホの速報アプリでカープ戦の様子を確認するとカープのリードとのことだ。2連覇へ着々と進みつつある。

 

そうこうしているうちに発車時刻が迫ってきた。吹き抜ける夜風がひんやりとしている。どこからかこの列車に乗るであろう人が駅に来た。

 

第9走者:長万部21:27→22:42 890D

最終の各駅停車の乗っている客はたったの4人だった。ただひたすら真っ暗な内浦湾沿いを進む。国縫を発車した後にカープ勝利の報せが入ってきた。これで6連勝、9月未だ無敗である。強くなったものだ、と思う。

 

何も見えない車窓が続くがそれでも起きているつもり…だったのだが1時間弱記憶がない。知らぬ間に寝落ちしてしまったようだ。よくよく考えなくても広島から5日間連続、途中船中泊を挟みつつほぼ丸1日ずっと移動しているのである。終着駅についたらなるべく早く寝るよう努めているが、それでも疲れが完全に抜けるわけではない。まだ2日間残っているが自分が少し心配になる。

 

目が覚めるとだいぶ南下していて、次が森だという。いつの間にか作業服を着た3人組が前にいた。稚内から17時間、距離にして600kmを超えたが普通列車に1日乗ってもまだ本州どころか函館にすらたどり着かない。改めて北海道の広大さを感じられる。

 

2日前に33分停車し、海をぼんやり見た森まで戻ってきた。ここも長万部同様昼間は駅員が配置されているが夜間は無人駅である。明日の1番列車が動く前から窓口は開いているそうなので、今日旭川で買い忘れ苫小牧で買えなかったものは森で買うとする。

 

コンビニで明日の朝食を求め、宿に向かう。国道から脇道に逸れたところの住宅地の中にある旅館だ。10日間の中で最も宿泊施設の少ない場所で、宿の選定に最も難渋したのは今日である。*13*14

 

声のかすれたおばあさんが出迎えてくれた。既に大浴場は22時で閉まっているとのことなので風呂は断念せざるをえないようだ。部屋に入って着替えたらすぐに布団に潜り込み、明日に向けて少しでも疲労を抜くことに努めるとする。

 

移動距離…653.8km

通過した駅の数…132

*1:同様の例は根室でも見られる

*2:一時期日本最南端のJRの有人駅だったためか。現在は隣の山川駅が最南端

*3:函館本線室蘭本線千歳線回り。私が2日間でたどった経路で計算すると682.5km。

*4:尤も稚内空港から1日で帰れるし、さらに言うと特急と新幹線を乗り継いでの神戸着も可能なのだが

*5:Instagramにあるサロベツ原野は写真の撮影場所より南側の地帯を指すようである

*6:無人駅を含めると石北本線の柏陽駅が最北かつ最東

*7:電化区間は貨物ターミナルのある北旭川まで

*8:投稿者のFacebookによれば、実際はこのような放送が約20分ほど流され、外の行先表示板が回転したままだったという

*9:「おおあさ」。決してたいまではない。

*10:15分に1本の快速エアポート普通列車、さらに貨物列車と特急列車が複線で運行されている。

*11:東室蘭から室蘭へは支線が分岐していて、この列車は東室蘭で前後を入れ替えている。

*12:事実2本特急が発着したが降りた人は数人、乗った人はいなかった

*13:一時期は森ではなく、長万部から特急ワープし函館で宿泊することも検討していた

*14:ちなみに次点で稚内と札幌である

No.7-7 18きっぷ日本一周7日目 札幌~南稚内(~宗谷岬)(2017/9/6)

ホテルを後にし、朝食をかき込んでいよいよ今日は最北の地に向かう。

今日の移動では昨日以上に接続が悪いのがやっかいである。逆に言えば街を回る時間が出来るとも言える。有効活用したいものだ。

 

第1走者:札幌6:00→旭川8:54 923D

階段を上ってすぐの車両を見てガラガラだと思ったらその車両は回送車両だった。客は入れないので空いていて当然である。仕方ないので前2両に行くとこちらは既に席が埋まりつつあった。

白石で千歳線と分かれ、北東に向かう。車内を見回すとこの時間からもう高校生が乗っている。朝早くからの通学は大変だろう。

江別までは札幌圏内の住宅街を進んでいくが、江別を過ぎると急激に家の数が少なくなり農村地帯になる。ここから深川までは途中いくつか都市があるものの、ほとんど似たような風景である。とはいえ幹線で沿線の人口は少なくはないため、前日の函館本線のような人工物のない車窓ではなく、普通列車しか止まらない駅でもそれなりの体裁を整えている。

地図を見てみると北海道の線路は気持ちいいくらいにまっすぐ伸びている。起伏も少ないのでディーゼルカーもこれまでにさんざん乗ってきたような重い足取りではなく、高速で飛ばしている。

岩見沢で1/3ほど席が空いた。ここまでが札幌圏内なのだろう。事実岩見沢までは本数がかなりあるが、その先の滝川、深川のあたりは本数が急激に少なくなる。高校生はまだ乗っている。さらにここで旭川行特急の退避をする。

高校生は美唄で降りて行った。往復で100km前後の通学を毎日していることになる。

この辺りから右手は山々が見え始める。かつてこの辺りは炭鉱で栄え、炭山まで線路も引かれていたが今はその様子を偲ぶことはできない。人口減少も著しく、日本一少ない「市」である歌志内市*1もこの近くである。

滝川での特急の退避中に回送車両を切り離し、さらにここからワンマン列車になった。

今日この列車に乗った理由は滝川~深川の本数の少なさにある。特急列車に限ればほぼ30分に1本なのだが、滝川発の次の普通列車は約4時間ほど空いていて、これでは稚内行きに間に合わないからである。ところで席は半分ほど埋まったままだが私を含め何人が18きっぱーなのか気になるところである。検札がないので分かりようもないのだが。

深川を過ぎると広い石狩平野が終わり、何本かトンネルを抜けると旭川に着いた。駅に隣接してイオンモールがあり、非常に近代的な駅である。*2とりあえず開店したばかりの店に入ってみると眩しさを感じた。

 

さて、ここで重要なポイントを押さえておかねばならない。

次は宗谷本線でさらに北上…とはいかないのが今日の日程である。途中名寄まではかなりの本数があるものの、名寄以北は本数が激減し旭川から稚内まで走破出来る普通列車は1日2本しかない。そのうちの1本は朝6時過ぎなので、これから乗る列車が本日の稚内行きの最終である。だが、それに乗るには旭川だと12:31まで待たねばならない。*3翌日も旭川で待ち時間があるので2日とも旭川で潰すのは愚の骨頂だろう。

調べてみると富良野線の列車があるようだ。富良野まで往復している時間はないが、途中美瑛までなら可能なようである。駅前を見る程度では期待はできないが、とりあえずこれに乗る。

 

第2走者:旭川9:38→美瑛10:13 727D

富良野行きの普通列車である。発車間際に乗り込むと2両編成の列車は観光客で既に満席で立ち客もいた。これは予想外だった。美瑛も富良野も著名な観光地だが、鉄道でのアクセスは良いとは言い難い。*4

 

旭川を出てしばらくは住宅街である。だが無人駅の連続だ。またホームも短く、私のいる2両目の最後部はホームにかかってすらない駅もある。*5

西御料の辺りから田園地帯になる。そういえば富良野線はこの西御料などで始める駅がいくつかあるが、これは鉄道が集落の西側に敷かれたのが理由のようだ。そのため西のつかない駅名は存在しない。

その後も小規模な集落の中にある駅を通り、美瑛に到着。観光地の駅らしく駅員が配置され、趣のある駅舎である。

中国人らしい観光客の一団が駅のコンコースでガイドの説明を聞いていた。駅舎自体も町の観光スポットのようである。その一団を通り抜け駅の外に出ると、こじゃれた建物が並んでいた。

流石に20分では駅前を見るのが精いっぱいだ。観光案内所で展示されているものを駆け足で見て回り、駅に戻った。ラベンダーで知られる富良野とともに後日ゆっくり巡りたい町である。

ホームに戻ると、丘の上に広がる青空が綺麗なことにふと気が付いた。起伏の多い美瑛では、丘の傾斜地に畑を拓き、輪作*6をしている。色とりどりの作物が育てられている様子がパッチワークに喩えられ観光名所の一つとなっているのだが、ホームからではその様子を窺い知ることはできなかった。

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第3走者:美瑛10:36→旭川11:12 728D

流石にこちら側に乗っている人は少なかった。席に座り、ゆっくりと外を眺められる。とはいえついさっき通ってきたものを引き返すだけなので特にどうということはないのだが、ともかくもしばらくは田園地帯の中にあるわずかながらの集落を進み、しばらくすると旭川郊外の住宅街を進む車窓である。旭川空港がこの近くにあるはずだが、Flightradar24によればこの時間に離着陸する便はないようだ。

 

定刻に旭川着。まだ時間はあるが、名寄まで先行し名寄の町を巡るとする。名寄での乗り換えは次の日もあるが時間があまりないのだ。

 

第4走者:旭川11:29→名寄12:52 3321D「なよろ1号」

快速列車にしては珍しい、号数のついた列車である。読んで字のごとく旭川名寄を結ぶ快速列車である。車内はほとんど席が埋まっていた。

貨物ターミナルのある新旭川の先までは電化されているが、そこから先はひたすら非電化の路線だ。また新旭川石北本線が分岐した後は稚内まで一切の鉄道路線とつながっておらず、宗谷本線は日本一の長さを持つ盲腸線としても知られている。

永山までは旭川の郊外住宅街としての役目を果たしているが、そこからしばらくは農村地帯になる。北海道らしい真っすぐな線路が続く。名寄までは高速運転が可能なように線路を改良しているため、ここを走る特急も120kmで飛ばしている。

蘭留を過ぎると森の中に入り、この間に塩狩峠のある塩狩を通過する。三浦綾子の小説「塩狩峠」の舞台で、この話の元である貨物事故がここで起きている。

塩狩を過ぎると名寄盆地に入り、再び農耕地帯に入る。この辺りから駅の周りに民家が見当たらない駅が出始める。とはいえ青々とした稲の生えた田畑が広がっているため、近くに人のいる様子は窺える。名寄までは周辺に町としての機能がある少し大きな駅と、短いホームしかなく周辺に民家が(ほとんど)ない駅ばかりだ。快速なので後者の駅は容赦なく通過していくが、仮に普通列車が止まったとしても利用客がいるとは思えないようなものばかりである。

定刻に名寄着。宗谷本線の道中にある都市では最大で、旭川からここまでは1~2時間に1本程度ある。稚内行きに間に合う列車はもう1本あるのでここで改札を出た客は大半が名寄までの利用なのだろう。まずまずの利用があるようだ。

 

さて、一旦日付が戻る。

広島で足止めを食らった際に行程に変更がないか確認をしたついでに調べてみると、この後乗る稚内行きの列車と日本最北端の地、宗谷岬を通るバスが接続していることが分かった。せっかくここまで来たのである。この機会に宗谷岬に向かうことにした。

バスは稚内駅バスターミナル出発だが稚内では間に合わず、一つ手前の南稚内で接続しているようだ。最南端の西大山や枕崎と違い鉄道で向かうことができなくなるがこれは致し方ない。

 

日付を今日に戻す。というわけで、宿に到着が遅れる連絡をしなければならない。宿を予約した際に予約サイトでは予めバスが稚内につく時間に合わせたチェックインができず、20時以降のチェックインになる場合は当日に電話をしなければならないという由なのだ。

 

宿「はい、○○(ホテル名)でございます。」

私「今日20時にチェックインの予約をしています△△です。チェックインの時間を22:30頃に変更したいのですが」

宿「えっ…(ちょっと間が開く)利尻とか礼文に行かれてから来られるのですか?」*7

私「いえ、宗谷岬の方に向かってから22:00稚内駅着のバスでそちらに向かいます」

宿「あーなるほど、分かりました。ちなみに明日の朝は何時にご出発の予定ですかね?」

私「5時過ぎですかね…稚内5:20発の列車に乗るんで…」

宿「おぉーお忙しいんですね…分かりました、22:30頃のチェックインですね。お待ちしております」

私「すみません、よろしくお願いします」

 

稚内まで来てこんな慌ただしい観光客(?)は珍しいのだろうか。向こうが若干引いているのが電話越しに伝わってきた。

私も駅を出て、名寄の町を回るとする。盆地にあるせいか長袖では暑い。

北海道ではよくある碁盤状に区切られた街である。街の中心部は駅の西側の少し離れたところを走る国道沿いのようで、駅前の商店街はシャッターが目立つ。

国道はそうでもないが人通りが少ない。平日昼間なのだが多少心配になる。とはいえスーパーに入ってみるとそれなりに賑わっているあたり、車社会の街なのだろう。後で詳しく述べるが北海道の鉄道はモータリゼーションと過疎化の前に危機的状況に立たされているのだ。

そういえば昼飯を取っていない。何となく入ったスーパーにフードコートがあったので、そこで済ませるとする。ついでに稚内まで飲食物の補給もできないので買っておく。

 

その後も適当に回っているとちょうどいい時間になった。駅に戻り、改札が始まるのを待つ。

 

第5走者:名寄14:52→南稚内19:44 4227D→4331D*8

 

いよいよ最北の地に向かう列車である。乗客は10人ほどだ。全員が18きっぱーかと思いきやそうでもないらしく、名寄から通常の乗車券で佐久に向かうというおじいさんがいた。

窓と席の位置関係がちぐはぐな列車で、外が見えやすい席を確保しなければならない。この列車の座席は廃車になった特急用車両の座席を転用したもので、小さいながらテーブルが付いている。

 

ところで、車内が暑過ぎる。扇風機をかけてさらに窓を開けているがそれでも何かがおかしい。

すると名寄の次の日進を発車後、運転手からこんなアナウンスが流れた。

「ただいま日進駅で停車中、暖房バルブを外す作業を行ったため、この列車は日進駅を約2分ほど遅れて発車しました」

えーと…つまりこんな暑いのに暖房かかっていたってことですか…?名寄駅前の温度計を見たら気温27度だったんですけど…?

ただ切っても暑いので窓を開ける。だがこれが案外重く、風が入るほどの隙間を開けるのが難しい。

名寄を過ぎるとしばらくは農村地帯を進む。ホーム上に駅舎がない駅もあり、民家はまばらなのもそれまで通りだ。だが智北の辺りから徐々に農地ですらない湿地や草原が現れ始める。もうそろそろで稲作の北限だろう。

日が傾き始め、西日が眩しい。時折急カーブを徐行しながらパスしつつ、天塩川に沿って人工物がほとんどない場所の北上を続ける。名寄からは高速化の改良工事がなされておらず、特急列車も最高速度は95kmに制限されている。そのため名寄まで比較的真っすぐな線路が多い印象だったが、今は細かいカーブの連続だ。木々も線路脇まで迫り、時折車体を掠めそうになる。

16:05、音威子府着。宗谷本線の中間地点はこのあたりだ。ここで車両番号が変わる。

さて音威子府に着いてからこのような放送があった。

音威子府駅ではしばらく停車いたします。なお改札業務を16:10で終了するため、その後は後ろのドアを閉めますので*9、以降は前のドアよりご乗降をお願いいたします。発車は17:07の予定です。なお駅での放送案内はございませんので、お乗り遅れのないようお気を付けください」

 

1時間以上の停車を「しばらく」と言い張るJR北海道クォリティー…流石である(?)

車内にいても仕方ないのでホームに出る。特急停車駅なのでホームが長い。ちなみに音威子府村の人口は約750人で、特急停車駅のある自治体としては日本一人口の少ない自治体である。

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ロッジのようなモダンな駅舎である。ホームにあるベンチは木でできた汽車の形をしていた。

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乗り場が出ていない件について…(まぁ駅の時刻表を見ればいいが…)行き先についても幌延行きの列車はない…一種の飾りのようなものなのだろうか。とはいえ電光掲示板ではないこうした案内はあまり見た記憶がない。あるかないかのどちらかだからである。

 

まもなく窓口のシャッターが閉まり、有人駅としての機能を終えた。

駅舎の中に蕎麦屋があるが15:30までの営業、しかも水曜定休だったのでどうしようもない。ここの蕎麦屋は美味と評判だそうなので、開いているときにまた訪れたいものである。

駅前に出るとちょうどバスが来た。駅前は日本最北端のバス会社、宗谷バスのターミナルである。とはいえバスターミナルといってもバス停がぽつんとあるだけで、待合室や切符の販売所は駅舎の中である。行き先は鬼志別行となっていた。日本最北の村、猿払村の中心部である。こうして見るといよいよ日本最北端というものが現実的なものになってきた。

駅前を軽く見て回ったが住宅ばかりで、歩行者はおろか通る車すらなかった。

 

さて駅に戻り、駅舎の中にある博物館を見学する。何の博物館か紹介する前に、まずはこの2枚を比べてほしい。

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(出典:https://trafficnews.jp/post/59283/)

1枚目は1964年当時の旧国鉄の鉄道網、2枚目は2016年10月時点でのJR北海道の鉄道網である。この約50年で北海道の鉄道は4割ほどが廃線になり、最近では2016年12月に留萌本線の一部が廃線になり、報道でも取り上げられたのでご存知の方もいるだろう。

元々は開発と殖民のために建設されたのが北海道の鉄道である。だが炭鉱の衰退、モータリゼーションの発達、さらには農村部の過疎化・札幌への一極集中化により整理が行われた結果多くの路線が廃線となった。一部の駅は保存され、資料館などの施設になっている。

音威子府駅にある博物館は廃線になった路線の一つ、天北線の博物館である。

天北線はここ音威子府からオホーツク海を回って再び南稚内で合流する路線である。先ほど駅前で見たバスはこの天北線廃線になった後設定された代替交通機関である。

大きなものではないが、今はなき路線の貴重な資料をゆっくり見て回った。

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だが、近い将来今乗っている宗谷本線、ひいては北海道の鉄道の多くが廃線になりかねない報道が2016年に発表された。

http://www.jrhokkaido.co.jp/pdf/161215-5.pdf

何度か述べたが北海道の鉄道、特に道東・道北の鉄道利用の減少が著しく、このままでは今乗っている宗谷本線の北部も含め多くの路線が廃線になる可能性がある。

沿線の人口減少により利用客が減り、地理的条件や気象条件を考慮しても本州以上に維持管理にコストがかかる鉄道路線が多い上、老朽化した設備の更新も必要である。だが利用客の減少は年々続いている以上、赤字額は膨らむばかりなのが現状である。*10

だが日高本線のように沿線の自治体との交渉が上手く行っていない例もあり、過疎地域にある鉄道、ひいては交通手段のあるべき姿というのが問われている。ズブの素人である私が口に出せることではないが、少なくとも沿線住民での安定した利用がないのなら残す意味はないだろう。観光客を呼び寄せるにしても、限界はある。そもそも客が乗ることでしか原則として収入を得られない以上、ある程度の人数が通年で乗ることが必要である。仮に毎回運行して満席になるような観光列車を誘致しても1列車あたりの定員が少なすぎて収入面では全くプラスにならない。あくまでも地元住民にとって必要な交通機関であるべきなのだ。

 

閑話休題

1時間ほどの停車時間だったが案外短く感じた。車内に戻り、再び北上を続ける。

なお乗ってきた客はいなかった。村に中学校や高校はあるがバス利用が主体なのだろう。*11

さて沿線はいよいよ人工物がなくなってきた。駅間の距離が長いのでこれまで以上に秘境という言葉が相応しい。佐久の手前では線路脇にエゾシカがいた。幸い何もなかったが、列車との衝突事故は時折あるようである。

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穏やかな流れの天塩川に夕焼け空が映っていた。草原の奥の遠くの山に日が沈んでいき、一気に周りは暗くなった。

日が暮れると何も見えなくなる。駅ですら灯りは乏しく、駅全体を見ることすら困難だ。当然のことながら人の乗り降りはなく、10人ほどの乗客がただ乗っているだけである。

ようやく街明かりが見えてきた。名寄から5時間近く人の気配のほとんどない場所を進んできたが、ようやく稚内の街が近づいてきた。やはり名寄以北の宗谷本線はほぼ稚内への交通手段としての機能しか残っていないのだろう。

 

あと一駅乗って最北の駅に向かいたい欲を抑え、南稚内で降りる。降りたのは私だけだったが、駅には2人いた。窓口の営業は終わっていたが駅員はまだいるようだ。列車の出発時刻の案内を差し替える必要があるからだろう、1人残っているようである。

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さてこれから宗谷岬に向かうバスに乗る…のだが、バス停が見当たらない。さっきちらっと見えた駅員に聞けばよかったと後悔したが、ブラインドに隠れて見えない。

バス停はどうやら南駅前と言いながら駅前のロータリーではなく、少し離れた大通りにあるようだ。完全に時間をロスしてしまった。間に合うか微妙である。

 

南駅前19:50→宗谷岬20:34 宗谷バス天北宗谷岬線12便(上り)

何とかバス停を見つけ、ほっとした瞬間にバスが来た。きっかり定時の運転である…のだが、私が待っているバス停まで通過しそうな勢いである。思わず手を挙げそうになったが、その前に止まってくれた。

それもそのはず。

私以外の乗客がいないバスはしばらく稚内の街を進んだ後、海沿いの真っ暗な国道を北上し始めた。待合室のあるバス停では律儀に回り込んで停車したが、乗る人はいない。当然私も降りない。バス停の数は多いので次々にアナウンスのテープが流れるが、ただ虚しさを感じるばかりだ。むしろ申し訳なさを感じる。

 

定刻に宗谷岬バス停着。客の誰もいないバスが走り去っていった。あの後終着の鬼志別までに一人でも乗ったのか少し気になる。

 

そして…

 

北緯45度31分22秒、私人が自由に行き来できる場所としては日本最北端の地*12である宗谷岬に到着。真っ暗な海沿いの道を進んできたが、モニュメントの周りは煌々と光っていた。キタキツネがいたのは偶然である。しばらくじっとしていたが、どこかに消えていった。

周辺は公園になっていて、広い駐車場と食堂や売店がいくつかある。当然のことながらもう閉店している。中年男性が一人、ぼんやりとしているだけだった。車や自転車は見当たらないので1時間半ほど前のバスで来たのだろうか。

キタキツネがいなくなったのを確認してからいたところに行ってみる。昼間視界が良ければサハリンが見えるが、今は漁火すらない真っ暗な闇の中である。50mほど離れた浅瀬に海鳥がいるだけだ。

反対側の高台にもいくつか記念碑やハイキングコースがあるようだが真っ暗でまた時間がないので探索は断念した。雨がぱらついてきたのでバス待合室兼休憩所に入ろうとしたところ、入口にクモの巣が張っていた。

 

宗谷岬21:06→稚内駅前フェリーターミナル22:00 宗谷バス天北宗谷岬線10便(下り)

やはり無人のバスがやってきた。乗ったのは私とさっきの中年だけである。さっきも気になったが始発の浜頓別から約1時間50分、1人でも客が乗ったのだろうか。

行きもそうだが誰も乗ってこず、対向車すらまばらな真っ暗な海沿いの国道を進む。

 

40分ほどで稚内の街に戻ってきた。人口3万5000ほどの街だが、色んな店があるだけで相当な大都会に思えてくる。街の中心部は南稚内寄りのようだ。

 

定刻にバスターミナルに到着。近年建て替えられた駅舎が眩しい。駅前には建て替えられる前の駅舎の時の車止めが残されていた。

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食べるところはあるようだが今一つ食欲がないので夕飯は飛ばし、宿に向かう。宿の斜向かいにボウリング場があった。こんなところにボウリング場があったのかとびっくりした。しかもまだ営業中のようである。*13

何はともあれ宿に到着し、今日の移動を終えた。改めて明日5時過ぎに出発の旨を伝えたところ、今朝もそうした人が3人ほどいたという。おそらく同業者だろうが、それでも宗谷岬に寄ってから来るような酔狂な人ではなかったのだろう。

 

何の変哲もないただの湯だろうが、風呂が気持ちよかった。大浴場を一人で占拠できたからかもしれない。

明日の朝は早い。ゆっくり休んで明日からの南下に備えるとしよう。

 

移動距離…441.1km*14

通過した駅の数…97

*1:人口約3500人

*2:駅についての詳しい紹介は次の記事でします

*3:かといって札幌発を遅らせると前述の通り滝川で詰まって間に合わない。特急課金する場合はこの限りではないが…

*4:特に札幌方面

*5:ワンマン運転なので1両目のドアしか開かない。

*6:土地が痩せるのを防ぐために、複数の作物を順繰りに育てること

*7:どちらも稚内のフェリーターミナルからフェリーが出ている

*8:音威子府列車番号変更

*9:つまり無人駅での扱いと同様とするということ

*10:これは北海道に限った話ではなく、全国の過疎地域にある鉄道路線のほぼ全てで言える話である

*11:安定した鉄道利用の需要がある層として学生が挙げられる。このブログでも何度か学生の乗り降りに触れている。だが基本的に短距離の移動が主体なので長距離移動を得意とする鉄道のメリットが活かしづらい

*12:日本国政府の実効支配が及ぶ最北の地は宗谷岬の西北西にある弁天島北方領土を含めると択捉島のカモイワッカ岬である

*13:調べてみると深夜1時まで営業とのことだった

*14:旭川~美瑛の往復も含む。下も同じ。

No.7-6 18きっぷ日本一周6日目 函館~札幌(2017/9/5)

早朝に函館FTに到着し、北海道に上陸を果たしたものの、今日の移動開始の時間まではまだ時間がある。函館FTから函館駅まで歩くのはしんどそうだが、隣の五稜郭駅なら2kmほど、徒歩でもなんとかなりそうな距離である。

途中非常食を購入し、25分ほどで到着。車ばかりで歩行者はほとんどいなかった。

朝食をとるためとりあえず函館に向かう。

 

第0走者:五稜郭7:19→函館7:24 1151D

北海道らしくデッキのついたディーゼルカーである。非電化区間が多い北海道の普通列車の大半はこの車両で、無論私も大半の区間でお世話になる。

車内は既に登校中の高校生で満員だった。もう試験週間なのか、友人同士で問題の出し合いっこをやっているグループが多い。

広い五稜郭車両基地を抜け、すぐに函館に着いた。

 

この時間からやっている店となると函館朝市だろうか。とはいえ私は海鮮丼の類はあまり好みでない。

検索してみるとマクドナルドがあるようだ。ことごとく食事は雑になってしまう。

歩いていると函館市交通局路面電車とすれ違った。

jub7le8ep.hatenablog.jp

こちらでも述べたがやはり路面電車のある風景というものは良いものである。電停には通勤や通学を待っている人がいる。末永く市民の足としての路面電車であってほしいものだ。

朝食を摂り、函館駅に戻った。これから長い長い北海道縦断の旅が始まる。

そういえば今日から2枚目の18きっぷだ。五稜郭で捺してもらったので、もう使い始めているのだが。

 

第1走者:函館8:18→長万部11:19 821D

北海道は特急列車が多い。現に札幌~函館では特急「北斗」が1日12往復走り、それ以外の都市間輸送に目を向けても高速バスや果ては旅客機まで、様々な手段による交通手段がある。

ところが地域輸送、普通列車に目を向けるとどうか。北海道の人口密度は全国47都道府県の中でも最低だと言えば、ある程度察しはつくだろうか。

普通列車しか止まらない駅では当然のように無人駅であり*1、駅によっては駅舎と呼べるようなものはなく待合室のみ、しかも建物ではなくかつて貨物列車に使われていた車掌車を駅舎に転用した、というものまである。

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写真の中ノ沢に限らず、北海道ではこうした駅が何ヶ所か見られる。

駅の周辺にはわずかばかりの集落…があるかどうかすらも怪しい。試される大地とよく喩えられる北海道だが、鉄道の面においても例外ではないのである。そして明日乗車する宗谷本線は猶更顕著である。詳しくはそちらに譲りたい。

 

話が逸れてしまった。今から乗るこの列車は、函館から森以北に向かう今日の一番列車である。途中大沼や森まではそれなりの本数があるが、森~長万部普通列車は1日わずか6往復しかない。

そのためなのか2両編成のディーゼルカーはほぼ満席だった。他にも函館近郊の観光地の一つ、大沼公園へ向かうであろう観光客もかなり見かける。

 

函館を出てすぐの並走する国道の標識に、札幌まで280kmとあった。*2「内地*3の人は北海道の広さを侮っている」という話をよく聞く。私はそれなりに広さを理解しているつもりだが、それでも札幌まで遠い。また函館市内で札幌の地名が出るあたり、その間に目立った都市が少ないことも示している。*4

七飯を過ぎると民家が減ってくる。そうしたところに少々場違いな新函館北斗駅がある。現在の新幹線の北端だ。

やはり大沼、大沼公園で半分ほど人が降りた。駒ケ岳を右手に見つつ北上を続ける。

そういえば2017年3月のダイヤ改正で北海道内のいくつかの駅が廃駅となった。外に注意して見ていると朽ちつつあったり解体工事をやっているホームや待合室があり、一目でそれと分かる。周囲の駅の表示板も一部が貼り替えられている。

9:34、森到着。ここで33分ほど停車するので外に出てみると内浦湾が間近に見える。デパートで時折開催される駅弁大会で上位常連のいかめしはここの駅弁であるが、まだ売り始めていないようだった。

森からは内浦湾沿いに大きく迂回する。森~室蘭は直線距離で40kmほどだが、線路や道路での距離は140kmほどである。

しかし駅と駅の間には建物がほとんどない。ただ山と長年使われていないであろう畑があるばかりである。

定刻に長万部に到着。函館本線室蘭本線の分岐駅で特急も止まる駅だが、普通列車に関していえば寥々たるものである。

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間もなく上り臨時特急列車「ニセコ」が来るようなので、それを見送ってから昼飯を求めるとする。ホームで弁当を並べているのは地元の観光協会の人であろう。長万部町の観光協会のキャラクター「まんべちゃん」の着ぐるみも一緒である。

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ここで降りた客はいないようだった。弁当を回収したらすぐに列車に戻り、特急が去った後には幾分寂しさを感じられた。

 

キオスクがあったがつい先日の8/23で閉店してしまったようだ。昼飯を求めて外に出る。とはいえ駅前で食べられる店となると蕎麦屋くらいしかないようである。それ以外の店をGoogle先生に聞いたら30km離れた店を表示した。

それほど食欲もないので事前に見つけていたスーパーに行ってみる。とはいえ一通り回ってみても出ないものは出ない。

しかしこうなるとあと1時間近くやることがない。適当に街を回ったがシャッター街である。あとで調べたところ日帰り温泉があったようだ。完全にリサーチ不足でした…

結局何をするでもなく13:00過ぎまで待ち、ようやく次の列車が入線した。北海道内は乗り継ぎがよくないことが多い。駅周辺でできることを予め何かしら探しておくべきだろう。

 

第2走者:長万部13:18→倶知安14:57 2943D

長万部から札幌方面に向かう場合、2ルートに分かれる。一つは苫小牧まで海沿いを進む室蘭本線千歳線回りのルート、もう一つはこれから乗る函館本線をさらに進むルートである。距離が短いのは後者だが、どちらにしても普通列車は1日4往復なので選択の余地はほとんどなく先に来た方に乗らざるを得ない。ちなみに特急列車や貨物列車は急勾配がなく直線の多い前者のルートを利用している。*5

さてここからは山中を進んでいく。駅間には民家はおろか人工物は道路くらいしかなく、携帯電話も時折圏外になる。

行けども行けども車窓に入ってくるのは白樺や蝦夷松と思われる森ばかりである。素人が見ても植生が明らかに本州のそれと違う。

熱郛までは長万部から乗ってきた高校生の利用があった。この時間に帰っているということはやはりこの時期は北海道の高校は試験期間なのだろうか。いくら北海道は夏休みが短いとはいえ、この時期に試験期間なのは少々困惑する。

その熱郛を過ぎると峠越えである。ディーゼルカーのエンジンが唸りながらゆっくりと上っていく。その音が小さくなったとき、ほっと一息ついたかのようにして下っていくのがぼんやりと外を見ながらでも分かる。

蘭越からは尻別川沿いに進む。左側に見えるのはニセコアンヌプリだ。まだ青々とした山を見せているが、もう2ヶ月もしないうちに徐々に白くなっていくのだろう。

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ニセコ駅にて停車中に撮影。そういえばニセコを訪れる観光客のためか、次の小樽行きの列車も含め英語の自動音声も流されていた。だが冬の時期でも列車に乗る観光客はいるのだろうか。

ニセコを過ぎると今度は右側に蝦夷富士こと羊蹄山が見えてくる。こちらは山頂が雲に隠され、全体は見えなかった。

定刻に倶知安着。いかにも北海道らしい日本の地名らしくない地名である。*6北海道の地名はざっくりと言えばアイヌ語由来か開拓の故郷の地名由来である。

後志総合振興局*7内では小樽に次いで大きな町であるからか、意外にも駅前は賑わっているようだ。しかし乗り換えは20分ほどしかないのでホームで次の列車を待つ。

 

第3走者:倶知安15:18→小樽16:26 1945D

8割ほど席が埋まっての発車である。小樽に向かうのだろうか。

倶知安を過ぎると相変わらずの山中、森の中を進んでいく。長万部~小樽間は通称「山線」と呼ばれるが、納得である。

倶知安を出てしばらくすると少々眠くなってきた。青函フェリーはほとんど眠っていたとはいえせいぜい4時間半ほどである。

いつの間にかうつらうつらしていたようだ。目が覚めたのはだいぶ山を下りた仁木あたりである。周りはかなり開けていて畑が目立つ。ホームにいる家族に見送られたおじいさんが私の隣に座ってきた。

次の余市からは小樽市の通勤圏に入る。民家の数も徐々に増えてきた。

定刻に小樽着。小樽からはかなりの本数があるので小樽市総合博物館に寄ることも考えたが、どうやら今日は休館日らしい。大人しく次の列車に乗り換える。

 

第4走者:小樽16:30→札幌17:02 3956M「エアポート170号」

乗り換えの時間が短く、また席数の少ない列車なので既に席はほとんど埋まっている。小樽駅は進行方向後ろ側にしか改札がないので、前へと急ぐ。やはり1両目は少し空いていた。

この列車はJR北海道の主力列車の一つ、新千歳空港~札幌・小樽を結ぶ快速列車「エアポート」である。ちなみに170号とあるがこんなに本数があるわけではなく、上1桁ないし2桁で札幌発または新千歳空港の時刻を、下一桁はその時間での号数を示している。つまりこの列車は「札幌発17時台の列車の一番目」ということである。

小樽築港を過ぎると快速区間に入る。山が石狩湾のすぐ近くまで迫り、狭い平地を縫うように走る。

ほしみを過ぎると徐々に建物が増えてくる。ここから札幌市に入ることになる。さらに市内に近づくと高層建築物が増え、都会が近いことが明らかになってくる。

定刻に札幌着。今日は早いがここで終わりとする。200万を擁する街らしく近代的な駅である。

 

札幌の街巡りをしたいところだがスマホの電池がない。とりあえず宿で充電をしてから巡るとする。

今日の宿は札幌の繁華街すすきのにある。地図を見ると1.5kmほど離れていて地下鉄を使いたいところだが、明日の一番列車には間に合わないためルートの確認を兼ねて歩いて移動する。

札幌も路面電車のある街である。一路線しかないが2015年に環状化されている。多く見られる中央に軌道があるのではなく、歩道そばに分かれて軌道が敷かれている。

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広島市電にも平和大通りはこうやって線路を敷く計画があるが現状不透明なままである。

 

20分ほど歩き、宿に到着。今日の宿は…

初めてのカプセルホテルである。旅行中ほぼ唯一のゆっくりと休める夜だが、大都会の中での安宿となるとこれくらいしかないのである。しかもよりによって上段である。上り下りが一苦労だ。

何にしても荷物をロッカーに仕舞い、スマホの充電を終えてから夕食を兼ねて札幌の街を軽くめぐるとしよう。

 

…起きて時計を見ると深夜2時だった。札幌観光どころか夕食の予定すら崩れてしまった。やはり疲れているのだろう。ただぼんやりと乗っているだけではないのである。

もうこうなれば今から食べるのは諦め、明日乗る前に朝食を食べるとする。幸い宿と駅の間に24時間営業の店をいくつか見かけている。朝も昼もそうだが旅行中は食事の優先度は低い。

明日はいよいよ最北端の地、稚内へ向かう。

 

移動距離…289.7km*8

通過した駅の数…55

*1:また特急停車駅であっても早朝夕方以降は無人駅となる森や長万部のような駅もある

*2:東京~福島、大阪~広島に匹敵

*3:北海道の人が本州のことを指す言葉

*4:他の2つは103kmの長万部と10kmの森でした

*5:臨時列車を除く

*6:そもそもアイヌ語の「クチャ・ウン・ナイ(猟人のいる小屋のある沢)」由来なので日本語由来じゃないのだが

*7:北海道は非常に広いため道内を14の地域に分け、それぞれに道庁の出先機関を置いている。かつての後志支庁

*8:五稜郭~函館~札幌

No.7-5 18きっぷ日本一周5日目 高崎~青森(~函館FT)(2017/9/4~5)

この記事を執筆する直前、Twitterにてこのツイートが大きく拡散されたのをご存じだろうか。

 

 

旅行やおでかけに関しての観光情報を「地元の人が」発信するというコンセプトでインターネット上で展開しているメディア記者の一人が、この夏に18きっぷにて西大山~稚内間を18きっぷで旅行したという。

編集部からスマホでの情報検索をしないという縛りをかけられ、通過した周辺の駅を駅メモで丹念に記録しつつ苦労しながら北へと向かう様子がシリアスに綴られている。

ただし私は駅メモユーザーではないので肝心なところがよく分からなかったのだが。*1 

 

今回この記事を取り上げた理由は、ルートが私の北上ルートと東北以外ほぼ被っていること*2、しかも今回取り上げる大館~青森の行程が全く同一の列車であることである。*3何が言いたいかというとメディア記者が書いた記事と一介の素人たる私のブログとではクォリティーの差が否めないということだ。前述に限らず、この手のものは検索エンジンを使えばいくらでも出てくるものではある。それでも更新を楽しみにしている読者がいるのはありがたいことだ。

 

さて、前置きが長くなってしまったが本題に入る。今日の行程は高崎から新潟に向かい、以降は羽越本線奥羽本線を北上し東北を縦断する行程である。

 

第1走者:高崎7:12→水上8:17 723M

今日の朝は行程の中ではかなり遅いスタートである。*4といっても7時台を遅いと見るかについては議論の余地があるかもしれないが、とにかく時間的余裕がないのが今回の旅行だ。なるべく1日の移動で距離を稼げるように組まなければならないのである。

7:10頃ホームに行ってみると、既に通勤通学客で席の大半が埋まっていた。前橋の郊外か渋川にでも向かうのだろうか。

新前橋で両毛線が分岐してしばらくすると、進行方向左側には榛名山が、右側には赤城山が見えてくる。残念ながら乗っている車両がロングシート、座った席は進行方向右側のため赤城山は見えにくい。一方で雲がかかっていない分榛名山は全景を表しているためこちらの方が綺麗に見える。移動を始めて早々、素晴らしい景色を見せてくれたのだが残念ながら写真は撮れなかった。

渋川でかなりの客が降りたが、それとほぼ同数の高校生が乗ってきた。通学列車としての機能も果たしているのだろう。本数はそれほど多くはないので同じ制服を着た人が何人もいる。

渋川で乗ってきた高校生は沼田で下車した。この付近の中では渋川に次ぐ街である。立ち客はほとんどいなくなり、同業者であろう人や登山客と思しき中高年が目立つ。

沼田を過ぎると徐々に渓谷へと入っていく。付近を流れる利根川の川幅も狭くなってきた。

定刻に水上に到着。駅周辺は温泉街のはずだが平日の朝なのでひっそりとしている。

対面の乗り換えではないので、人の流れに沿って跨線橋を渡る。水上で改札を出た客は少なかった。

 

第2走者:水上8:24→長岡10:20 1729M

ここから新潟支社管轄になる。今一つ新潟に近いという印象はないが…

ロングシートクロスシートが半々の車両である。乗り換え客の集団の中ではやや後方だったためクロスシートはもう埋まっていた。

さて今日高崎発が遅かったのはこの区間の本数の少なさにある。なんとこの列車が今日の水上発上越線下りの一番列車なのだ。高速バスや新幹線が交通の主軸であり、人の交流も普段は少ないので当然と言えば当然なのだが、それにしてもひどいダイヤである。

湯檜曽を過ぎると長い清水トンネルに入る。川端康成の名著「雪国」の冒頭「国境のトンネルを抜けると雪国であつた。」はあまりにも有名であるが、この「国境のトンネル」はここのことである。現在は上下線にそれぞれ別のトンネルが掘られていて、正確には今通っているのは新しくできた新清水トンネルであり川端の小説の世界観を味わうことはできない。だが何にしても県境をまたぐ非常に長いトンネルである。

湯檜曽の次の土合は少々変わっている。上りホームは山中にあるごく普通の地上駅だが、下りホームは新清水トンネルの中にある。ここから駅の外に出る場合、462段の階段を上りさらに連絡通路を通ったうえで24段上らなければならない。*5ちなみにエレベーターやエスカレーターは設置されていない*6谷川岳の登山口があることから夏季は登山客の利用があるようだが、駅を出るまでが既に登山である。

土合を出発するとまもなく車内検札が始まった。次の土樽までは駅間が長いからだろう。そういえば在来線の普通列車内で検札を受けるのは初めてのような気がする。検札を見ていると9割ほどが18きっぱーのようだ。しかし数人のICカード区間外乗車の処理にまごついたらしく、1両目を検札しただけで土樽に着いてしまったようである。

国境のトンネルを抜けると薄い霧がかかっていた。周囲の山を見るとスキー場がいくつかある。この辺りはたくさんのスキー場があり、首都圏のスキーヤーやボーダーが向かうエリアの一つ「苗場」もこの辺りである。

六日町を過ぎると狭い谷の中に田が見えるようになる。もう少し山を下りると最高級ブランド米の一つ「魚沼コシヒカリ」の産地である魚沼市に入る。

小出を過ぎると徐々に混んできた。長岡や新潟に向かうのだろうか。車内の人の平均年齢が徐々に高くなってきた。

小千谷付近で一瞬信濃川と並走し、定刻に長岡に到着。

 

第3走者:長岡10:27→新潟11:43 3373M

次に乗るのは新井発の快速である。滑り込んできたのは国鉄車両、115系だった。

ところで、ここで一つ話を。

半自動ドア、という概念をご存じだろうか。長時間停車中や、乗降客の少ない駅での車内保温のために駅についてもドアを自動で開けず、乗降客の操作によってドアの開け閉めを行う場合がある。ローカル線での話に限らず、大阪や東京など大都市圏の駅でも見られる…のだが、その駅始発や通過待ちでもないと見られないので時々困惑する客を見かける。

さてこうしたドアの開閉は基本的にボタンを操作して行う。というよりも手動で開けるドアの車両の方が淘汰されつつある。今回の旅行においても多くの駅で半自動扱いとしているし、今日はここまで全ての駅が半自動である。ところがこの列車は…

 

 …はい。小さくドアにも説明があるがこの通り手動である。襖を開けるがごとく横に押して開ける。そして停車中はどうやっても微妙に隙間ができる。

ツイートでは驚いてはいけないと言っていたが、正直私も手動での半自動ドア*7を見たのはいつ以来だろうか。記憶によれば高3で見た山陽本線の列車以来だと思われる。E129系に淘汰されつつあるけど、今日も國鐵旧潟は元気です。國鐵廣嶋は衰退しましたが山口と崗山ではまだまだ元気です。*8

閑話休題

席は長岡で埋まり、何人かは立ち客がいる。ほぼまっすぐな線路をひた走り、外には越後平野の田園地帯が広がっているのだが、席取りの位置が悪くあまり外が見えない。

新津を過ぎると徐々に住宅が増えてきた。間もなく右からこの後乗る白新線の線路が合流し、新潟着。

16分は18きっぱーにとっては中途半端な長さである。次の列車も当駅始発ではないのでしばらく待つ。

 

第4走者:新潟11:43→村上12:57 1933M

入ってきたのは再び新型車両である。今度は進行方向右側のクロスシートの席に座り、ぼんやり車窓を眺められるポジションを確保した。

出てしばらくは新潟郊外の住宅街を進む。かと思えば突如として大きなショッピングモールが駅前に現れたり、また田園風景に戻ったりする典型的な郊外路線の趣だ。

新発田から羽越本線に入り、北へと向きを変える。ただ相変わらず農村と住宅街の中間のような車窓が広がっている。絶好のポジションを確保したとはいえ、単調な景色が続いていて少し退屈になってきた。

定刻に村上着。次の列車は既にホーム向かい側に止まっていた。街と駅は離れているし駅にキオスクなどはなさそうである。どうやら昼飯は無理そうだ。

 

第5走者:村上13:31→酒田15:56 827D

次は3日目以来のディーゼルカーである。村上駅の北側で電化方式が変わるのだが管轄の車両区が在来線用の車両を持っていないため、こうした運行形態をとっている。

この先は日本海岸沿いを通るため、進行方向左側の席を確保した。ガラガラなので4人のボックス席を贅沢に使わせていただく。

発車してしばらくは日本海の沿岸を進む。特に今川駅周辺は「笹川流れ」と呼ばれる日本百景にも選ばれるほどの景勝地…なのだが、今一つよく魅力がよく分からない。

それでもシャッターを何度も切った。まだ夏なのでよく晴れていて、日本海は穏やかである。

 

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鼠ヶ関から山形県に入る。そういえば人生で初めての東北である。初東北がこんな形になるとは思わなかった。

ところで村上の南の坂町から青森までは単線と複線が目まぐるしく変わる区間である。運行本数がそれほど多くないこと、一部海岸沿いの険しい地形の影響で十分な用地が確保できないことなどが挙げられる。しかしここまで複雑だと運行管理やダイヤグラム作成も大変だろう。

小波渡からは内陸に入っていく。トンネルを抜けた先は庄内平野だ。線路は鶴岡市内を通るように逆コの字型に敷かれている。この辺りは山形県内の米の一大産地である。

定刻に酒田着。売店があったので、ここでお茶とパンを購入する。時間が中途半端なので駅前を散策するのは諦め、待合室で待つことにした。まだまだ暑いので空調の効いた部屋でゆっくり涼む。

 

第6走者:酒田16:30→秋田18:19 553M

東北の顔、701系である。車内に行ってみると既に下校しようとする高校生が何人かいた。

酒田を出発してしばらくすると出羽三山の一つ、鳥海山が見えてきた。快晴で山の全体がはっきりと見える。

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吹浦で高校生はほぼ降りた。次の女鹿までが山形県である。

秋田県の県境の手前から再び日本海の沿岸を走る。相変わらず穏やかな海である。

高校生の帰宅時間に設定されている列車だからであろう、象潟や羽後本荘といった沿線の主要な都市で高校生が乗り、数駅で降りるという様子がよく見られる。決して長距離の利用客ではないが、地域の鉄道網を支える上では非常に大きな存在である。

ところで一週間ほど前の鹿児島にいたころは18:30頃の日没だっただろうか。それから緯度にして10度近く東に移動したわけだが、同時に北へも移動したので18:00を過ぎてもまだ日が暮れていない。むしろ車窓には日本海に沈もうとする美しい夕日が見える。ロングシートの車両だが、車内はさほど混んでいないので進行方向左側のドア前に立ち、何度もシャッターを切った。

 下浜~桂根にて撮影。写真では魅力が激減してしまうのが惜しい。

定刻に秋田に到着。すぐに大館行きの快速列車が発車するが、次の列車でも行程は変わらない。ということで少し時間があるのでここで夕飯にする…予定だったが食欲が出ない。駅ビルのレストラン街を巡っても食べたいという気が起こらない。確かに昼飯(?)は遅かったがこうまで問題にはならないはずである。だがないものはないのでレストラン街を後にした。

そういえば秋田駅秋田新幹線の終着であるが、交通系ICカードには対応していないからか、新幹線乗り換え口以外の改札は有人改札だった。新幹線の改札から行くと、その差に少々驚く。周辺に無人駅も多いため、精算が必要な場合もあるからであろうが…

ふと、次の列車のホームに向かう途中の跨線橋で写した1枚。なまはげの横の提灯は竿燈祭りをモチーフにしているのだろうか。

 

 

第7走者:秋田19:00→大館20:46 1683M

ホームに行ってみると既に通勤通学帰りの客で席がかなり埋まっていた。半自動で乗客のほとんどが乗ったら開け放しにしないという暗黙の了解を心得ているようで*9、色んなところからドアのブザーが鳴る。意外とよく響くというよりむしろ前の列車でさんざん聞いたせいで少々うるさく感じてきた。

既に日が暮れてしまったので車窓を楽しむことができない。夜の移動はただ淡々と何も見えない中を進んでしまうのが何とももったいないが、時間がない故致し方ない。乗客のほとんどは八郎潟までに降り、車内は閑散としている。

東能代から東に向きを変えて、米代川沿いの谷を進んでいく。

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オタク特有の…いえなんでもないです。*10

相変わらず複線と単線が目まぐるしく変わる路線である。時折貨物列車とすれ違う。

定刻に大館着。駅周辺は真っ暗なため食事には期待できそうにない。地図を見てみると街の中心部は2kmほど離れているようだ。30分では無理なので待合室でじっと待つ。

降りた瞬間、半袖に七分のズボンでは寒さを感じた。流石に北にある盆地では夏の恰好では無謀なようである。気になったので気象情報を見ると15度だった。とりあえずパーカーを羽織って凌ぐ。

 

第8走者:大館21:20→青森22:50 689M

大館からの乗客は20人ほどだろうか。車掌のいる列車だがもの寂しさを感じる。そういえばこの旅行では意外にも初めての最終電車である。

陣馬を発車した後の県境を超える間、車内検札が行われた。やはりほとんどが18きっぱーである。2日目の佐伯のスタンプの下あたりに穴を開けられた。

22:02、弘前に到着。ねぷた祭りで有名な街らしく、たくさんの提灯が下げられていた。しかしホームに人の姿はほとんどなく虚しさを感じる。発車のメロディはどこかできいたことがあるような旋律だったが、後で調べてみると津軽じょんがら節らしい。三味線の音だったのでさながら祭り会場や旅館のような駅である。

再び真っ暗な世界に戻る。幸いこの区間は昼間に通る予定だ。

新幹線接続駅である新青森でどっと人が乗り、定刻に青森着。今日の「列車での」移動は終わりである。

 

さて、今日の列車での移動は終わりである。だが、今日の移動はまだ終わらない。今日の宿は津軽海峡を渡るフェリーである。フェリーターミナルまでは歩いていけなくもないが、見知らぬ街でしかも夜に3km近い移動は無謀だろう。しかも荷物も多い。というわけで事前にフェリー会社のホームページで見つけていたタクシー割を使う。予約のために電話をかけると、明らかに津軽弁訛りのオペレーターが出てきた。23:30に青森駅西口から利用の予約を入れる。

さて東口を出ると目の前に繁華街が広がっていた。居酒屋を中心にファミレスなどもあるようである。

とはいえ夕飯は結局松屋牛めしになった。近くにあったファミレスが臨時にラストオーダーを早くしていたようで、そこを諦めてからはもう探す気力を失ってしまったからだ。

食べて時間を確認すると案外時間がない。とりあえず西口に急ぐ。

だが駅の周りを大回りして向かおうとしたら行けそうにない。ここで妙案を一つ立てた。*11

18きっぷで中突っ切ればいいのでは?」

18きっぷは改札を出る時にスタンプを捺されない。まだ青森発の普通列車はあるので怪しまれずに済むだろう。

というわけで駅を突っ切り、西口に出ると…*12

仮にも青森県のメインターミナルである。西口は確かに閑散としているとはいえ、流石に改札業務を終了するのはマズいような気がするのだが…

 

何はともあれ青森駅西口からタクシーに乗り青森フェリーターミナルに向かう。10分ほどで着き、待合室で乗船時刻を待つ。

ソファーがあるが仕切りがあり寝転がることはできない。しかも寝過ごしてはいけないというプレッシャーからか寝れない。かといって待合室には飲み物の自動販売機と青森港の港湾事業の説明しかなく、時間を明らかに持て余してしまった。

ようやく1:40ごろ、乗船時刻を迎えた。

 

青森FT2:00→函館FT5:50 「あさかぜ21」

青函フェリー運航の小型フェリーである。何台かのトラックと乗用車が既に乗っていて、徒歩乗船の客は十数人ほどだろうか。徒歩乗船の客の中で真っ先に乗船しコンセントそばの場所を確保したが、そうまでして急ぐ必要もなかったようである。

雑魚寝のカーペット部屋がいくつかあるようだがこの乗客数では寝転がるには十分すぎるほどのスペースである。すぐに熟睡してしまった。

目が覚めると函館FTにもう着こうかというところだった。窓の外を見ると函館山が見える。今からシャワーを浴びても乾く時間はなさそうなので着替えるだけ着替える。さすがに長袖長ズボンでないと肌寒いだろう。

 

6:05頃に下船。朝日が眩しい。北海道の北上の始まりとなる今日もいい天気で行けそうだ。

 

移動距離…687.7km*13

通過した駅の数…144

*1:乗車記録はレールブックでつけはじめ、サービスが終了してからは乗りつぶしオンラインを使用しています。

*2:違うのは大宮~秋田で、私は高崎線羽越本線回り、pato氏は東北本線仙山線奥羽本線回りである

*3:さらに翌々日の行程に至っては南稚内まで全く同じ行程である。違うのは雨による遅延の有無と宗谷岬訪問の有無である

*4:これより遅いのは6日目のみ

*5:動画サイトに実際に上ってみた動画が上げられている

*6:改札からホームまで10分ほどかかることから時刻表にはその旨が書かれている。かつて有人駅だったころは下り列車の改札を10分前に締め切っていたという

*7:矛盾はしていないですよ?ドアの開錠施錠は車掌が行うのでそこが半自動の半自動たる所以です。

*8:これらの地域にも新車はよ…

*9:冬がとても寒い地方だからというのもあるのだろう

*10:そもそもこの駅の読みは「はやぐち」ですし

*11:後で調べると相当な大回りが必要だったようです。10分では無理があったみたいですね…

*12:ツイートの東口は西口の誤り

*13:青森FT~函館FT(113.0km)は除く

No.7-4 18きっぷ日本一周4日目 広島~高崎(2017/9/3)

台風は北海道を過ぎ去り、オホーツク海で消滅したようである。大きな被害はなかったようなので順調に進めそうだ。

 

4日間足止めを食らっていたが、早く行きたいような、そうでもないような、そんな気分だった。しかし何はともあれ今日から再開である。

今日のルートは私が初めて18きっぷを使ったルートと途中品川まで同じである。*1時間帯も広島発の始発であり、しばらくはこれに従う形になる。

 

第1走者:広島5:50→岡山9:01 322M→1716M*2

岩国始発の山陽本線上りの一番列車である。新幹線の始発に接続しているためかなりの人が広島で下車した。新幹線の始発の東京着は10:03、こちらの東京着は20:57である。

1日目に昼間通ったルートであり、また何度も通っているせいか今一つ感動を覚えない。車窓が比較的山と田んぼばかりで単調なのもある。岡山まで3時間、旧式列車との耐久戦を強いられることになる。

席は8割ほど埋まったまま進んでいく。福山周辺で席が埋まりかけたがそれくらいである。

とはいえぼんやりしていれば時間は経つものでいつの間にか倉敷まで来ていた。この辺りから少しずつ岡山方面へのラッシュになり、立ち客が出始めた。

予定通り岡山着。今日は全体的に乗り換えの時間が短く、当分食べ物を買っている時間はないのでしっかりと買い込んでおく。

 

第2走者:岡山9:18→相生10:21 1308M

岡山始発ではないのである程度予想はついていたが結構混んでいる。多くの人が下車したのでその間に席を確保したものの、あとから同じくらいの人が乗ってきた。狭いがこのまま相生まで空かないだろう。

万富を過ぎると山の中に入り、峠越えの路線になる。兵庫と岡山の県境を超える列車は1時間に1本しかなく、18きっぷの使える時期は混雑しているが普段は閑散としているはずである。なお1日目

相生まであまり乗り降りはなく、ほとんどの人がこのまま次の列車に乗り換えるようだ。

ホームの電光掲示板を確認しつつ、人の少ない進行方向前寄りに向かった。

 

第3走者:相生10:24→姫路10:44 760T

相生で空いているドアから乗ったので、席の確保は余裕である。

少しずつ沿線人口が増えてきた。峠を超えて関西圏に入ったということである。今日は休日ダイヤなので予定表に書いてある部分からは少し変わるが、とはいえ行程に大きな影響はない。

特に何も起こらず姫路着。この列車は米原行きだが、明石まで各駅停車である。それまでに次に乗る新快速に抜かれるので、ここで乗り換える。

 

第4走者:姫路10:57→米原13:23 3252M

京阪神のJRの高速輸送を担う新快速である。姫路を出るとそれまでよりも明らかに早い速度で飛ばし始めた。

加古川ではホームの向かい側で普通列車と接続する。さっき姫路でおりた第3走者の列車である。

西明石を過ぎると徐々に混み始めた。ここから複々線になり、新快速は山側の線路を通ることになる。

一応朝Twitterで野次りにきても構わないという旨は出したが、何の連絡もない。どうやら誰にも見届けられることなく事は進みそうである。

11:33、神戸発車。3日と7時間19分で西側を1周したことになる。ここまでで全行程の約1/3、2097.8kmを進んでいる。これは直線距離に直すと東京~台北に匹敵する。

さて心機一転(?)これから東側の一周を始める。なおこれより東海道本線へと入る。車内を見回すとかなり混んでいる。今日は休日、三宮や大阪に出かけているのだろうか。

大阪で一瞬寿司詰めになるほどの混雑になったものの、新大阪と京都でかなり降りて立ち客はほとんどいなくなった。

山科からは通称琵琶湖線区間に入る。とはいえ琵琶湖が見えるのは石山周辺で、それ以外は見えず住宅街をひたすら進んでいく。時折新幹線の線路が見える。

定刻に米原着。跨線橋を渡り、次の列車に乗り換える。

 

第5走者:米原13:30→大垣14:03 3218F

車内は既に立ち客がいるほどの混雑である。車内を移動し空いている席をなんとか確保した。なおここからJR東海管轄である。

この区間は冬場大雪で新幹線が遅れたり止まったりすることもある豪雪地帯だ。*3幸い夏なので特にどうということはなかったが、初めて18きっぷを使った時にこの区間内で線路脇の竹が折れてしばらく運転見合わせになったことを思い出した。

蛇行しつつ峠を越えると関ケ原である。ホームには関ケ原の戦いの古戦場の位置を示した地図があった。

関ケ原を過ぎると峠を下り、2つ先が大垣である。

定刻で大垣に到着。次の乗り換えが短いので大勢の人が小走りで跨線橋の階段を上る。既に次の列車はホームについているので席の争奪戦である。重い荷物を抱えた私も息を切らせながら跨線橋を渡った。

 

第6走者:大垣14:11→豊橋15:38 5336F

降りたドアと跨線橋は少し離れていたが、階段をかけて上り下りし席を確保。すぐに席が埋まり、遅れた人は立つことになったようである。

さてこちらは名古屋地区の高速輸送を支える新快速である。関西圏の新快速と合わせ、18きっぱーにとってもありがたい存在である。

名古屋で多くの人が降り、また同じくらいの人が乗ってきた。ちらりと名鉄特急も見えたが、あちらもかなりの人である。流石200万都市である。

名古屋を過ぎた後も沿線は住宅街や工場が広がっている。ほとんど平坦でカーブも少ないので新快速は100km/hを超えた速度で小駅を通過していく。

蒲郡でいったん海岸をかすめるが海は見えない。どうでもいいがこの辺りは駅名の読みが長くなる。漢字に直しても4字の駅が多く、路線図を見ると駅名がぎゅうぎゅうに詰まっている。

西小坂井の先で左から飯田線の線路が合流し、定刻に豊橋着。新快速の恩恵に与り、5時間ほどで兵庫県西部から愛知県東部まで350kmほど移動したことになる。

ここも対面の乗り換えではない。大垣同様多くの人が構内を急いで移動する。JR東海はもう少し乗り継ぎ客を考慮してもいいと思う。

 

第7走者:豊橋15:41→浜松16:15 5964M

席はもう空いていなかった。3分の乗り換えでは流石に期待はできなかったし仕方ない。並走する新幹線が285km/hで追い抜いていった。

豊橋を出てしばらくは引き続き郊外路線であるが、鷲津を過ぎると左側に浜名湖が見える。ぱっと見ると海のように見える。遠江の由来になるだけはある。時折並走する新幹線が見える。乗っていれば何とも思わないが、外から見ればそんな速さで大丈夫かと思うような速度で行き来している。

浜名湖を渡るとやがて浜松市街に入り、定刻に浜松着。ここから今日の難関、「静岡大陸」に挑む。そして相変わらず走ってホームを渡らざるを得ない乗り換えである。

 

第8走者:浜松16:21→熱海19:04 452M

先ほど述べたがこの区間は18きっぱーの難所の一つ、通称静岡大陸である。

難所たる所以は、

  • 夕方~深夜に運転されるホームライナーを除き各駅停車しかないこと
  • 一部を除きどの列車もロングシートであること
  • 車両によっては車内にトイレがついていないこと

だろう。1日目と3日目で通った山口県ともよく比較されるが、個人的にはトイレのない車両に当たることがありしかも途中長い停車時間のないこちらがきつい印象がある。

さて今回の車両は不幸にも上3つの条件をすべて満たしてしまった。しかも2時間40分この調子である。

時折新幹線の高架を見ながら郊外路線を進む。ロングシートゆえに景色が片方しか見えないのが辛い。とはいえ駅数はそれほど多くないので路線図を見ていると確実に東に進んでいることが分かる。

焼津を過ぎると右側に駿河湾が見え隠れするようになる。静岡や富士周辺は内陸に入るが、清水を過ぎると駿河湾沿いに進む。東名高速道路も海沿いに伸びているので、台風が接近するとこの付近が真っ先に通行止めになる。よくニュースに中継映像が流れるのもこのあたりである。

興津で甲府行きの特急の通過待ちをする。席がほぼ埋まっているくらいの人なのでいったんホームに降り、ホームを適当に歩き回ってエコノミークラス症候群の予防をする。

富士を過ぎたあたりでふと後ろを見ると、雲にかかった夕暮れの富士山が見えた。新幹線でこの辺りを通るといつも天気が悪く、地上から富士山を見た記憶はないような気がする。

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何度かシャッターを切ったがこれが精一杯だった。直線距離で20km以上離れているせいかさほど高さを感じない。もしかしたら富士山ですらない可能性も否定はできない。

三島を過ぎると伊豆半島の付け根を抜ける。8km近いトンネルを出ると間もなく熱海である。

熱海に到着。乗り換えの時間はわずかしかないが一旦改札を出る。

 

第9走者:熱海19:09→高崎22:50 1936E

熱海駅の改札を出た理由はグリーン券を購入するためである。Suicaがあればホームで購入できるが私は持っていないので*4、5分の間に改札を出て自動券売機で購入する。

これまで以上に時間がない乗り換えなので疲れた。ただこれであとは4時間ゆったりである。流石にもう4時間ロングシートは辛すぎる。

検札が終わればあとはゆっくりである。席は少々固いがロングシートの狭いスペースに比べたら格段に楽である。しかし日が暮れてしまい、相模湾は真っ暗である。遠くには湘南の街並みが浮いている。

平塚を過ぎると徐々に明かりが増えていく。まだこっち側は人は少ないが反対側は帰宅ラッシュで15両の車両が満杯である。

横浜からこちら側も人が増え、グリーン車にも使用中であることを示す緑のランプが増え、空席である赤ランプが少しずつ減ってきた。

広島からほぼ15時間で多摩川を渡り東京都に入った。流石にしんどい。飲み物はホームの自販機でどうにでもなるが食べ物が岡山以降一切買えていないのもある。

20:58、東京着。この列車は上野東京ライン経由なので東海道本線の始発駅たる東京も途中駅の一つでしかない。ここでグリーン席も埋まった。行き場を失った客でデッキもごった返しているようである。

21:03、上野着。かつての東北、北陸方面の長距離列車の始発駅も、ただの途中駅である。上野発の夜行列車は今はもうない。旅情のかけらもないが時代の流れとはそういうものである。

大宮から高崎線に入り、なおも北上を続ける。駅に止まるごとに東京や上野でデッキまであふれかえったグリーン車も少しずつ空席が目立ち始めた。ふと外を見れば横浜や東京の大都会の街明かりとは打って変わって、住宅街らしく街灯や家々の明かりが漏れているだけだった。

深谷でドアが半自動*5になった。当分の間自動ドアとはおさらばであるが、当時の私はそんなことには気が付かなかった。

22:50、高崎着。1都2府10県にまたがる移動がやっと終わった。

 

駅の外に出て、外から駅標の写真を撮っていると二人組の中年に声をかけられた。何故かLINEの交換を求めてきたが断りつつ早足で逃げ、夕飯を食べてホテルに向かった。

だがホテルにつくとまだチェックインできないという。予約したときに気が付かなかったが24:00以降チェックイン限定のプランらしい。

仕方がないので翌朝の分の食料とお茶をコンビニで求め、フロントで待つ。

20分ほど待ち、ようやく今日の移動が終わった。最後にハプニングがあったのもありベッドに寝転がった瞬間、どっと疲れが出た。明日の朝の移動が比較的遅いのが救いである。

 

移動距離…999.2km

通過した駅の数…261*6

*1:2011/12/26、広島~船橋間利用。本ブログ未記載

*2:糸崎で車両番号変更

*3:ちなみに世界最高積雪記録はこの区間にほど近い伊吹山で観測している。

*4:他のICカードでは不可

*5:駅についても自動で全てのドアが開かず、乗客がボタンを押してドアを開け閉めすること

*6:所属路線の駅数で数えているため必ずしもすべての駅を停車または通過したわけではなく、通る線路にはホームすらない駅も数え上げています

No.7-3 18きっぷ日本一周3日目 鹿児島中央~広島(2017/8/30)

ホテルで少し寝坊してしまい、危うく乗る予定の列車に遅れかけてしまった。ルートを変えればリカバリーは可能ではあるがそれでも課金必須である。昨夜目覚ましをかけた時に午前と午後を見間違えたようだ。何にしても間に合ってほっとした。

 

今日は九州島内を縦断するが、行きと異なり肥薩線鹿児島本線回りである。

第1走者:鹿児島中央6:27→隼人7:05 6922M

最初は昨日の昼前に通った日豊本線を通る。朝日に光る桜島が美しい。

重富を過ぎたあたりから少しずつ高校生が増えてきた。国分か隼人まで向かうのだろう。随分と早い気がするが九州の高校には「朝課外」なる慣習があるそうである。大変だろう。

通学の高校生や通勤のサラリーマンの中にいると、私服で重い荷物を抱えた私は甚だ違和感がある存在にしか見えないだろう。まぁ実際場違いな存在なのは確かだが。

加治木の先で海岸線から離れ、昨日今日と見てきた桜島ともお別れである。

隼人に到着。1分しか乗り換えの時間がないのですぐに次の列車に乗る。

第2走者:隼人7:06→吉松8:10 4222D

ここから肥薩線に入り、本格的に山の中に入る。急勾配や急カーブも多く、時に徐行しながら農村地帯を進んでいく。

南九州へ向かう路線としては海沿いを進む鹿児島本線より古く*1、また観光資源としての観点から築100年を超えた木造の駅舎がいくつか残されている。*2古い駅舎というものは味のあるものでゆっくり見学したいがそんな暇はない。沿線には温泉地がいくつかあるが平日の朝、静かである。車内にいるのも高校生と同業者と思しき中年がほとんどである。

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やがてえびの高原に入ると次の乗換駅、吉松である。この列車は吉松から吉都線に入る都城行きだが、吉松で乗客の大半が降りた。といってもわずかな数だが…

吉松はかつての南九州の鉄道の要衝を偲ばせる大きな駅である。しかし本数は少なく市街地から少し離れているため静かだ。

第3走者:吉松8:27→人吉9:25 1226D

いよいよ肥薩線の難所であり日本三大車窓の一つに数えられる、矢岳越えに入る。*3この区間はわずか5往復と少ない。今日乗車する区間の中でも一番楽しみな区間である。

右手に吉都線の線路が分岐し、徐々に標高を上げていく。小さなトンネルをいくつかくぐるたびに、麓のえびの市の街並みがだんだんと小さくなり雄大な車窓が広がる。

まずはスイッチバックの駅で肥薩線一の宮崎県内の駅でもある、真幸に停車。Z型に線路が敷かれているため駅構内で一時的に前後が変わる。ホームには駅名にちなんだ鐘があるが鳴らすほどの停車時間はなかった。*4この時点で吉松から150mほど登っているのだがさらに登る。

次の矢岳までに宮崎県と熊本県の県境を超えるのだが、真幸からさらに200m近く登っている。ディーゼルカーのエンジンも唸る急勾配だ。

矢岳を過ぎるとエンジン音は軽くなり、一気に下っていく。途中大畑でループ線スイッチバックという急勾配を超える際の2つの合わせ技を使うあたり、急勾配の度合いが推し量れる。

さて肝心の車窓はというと、見事の一言に尽きる。特に真幸~矢岳間は眼下にえびの市街を見下ろし、遠くに霧島連山を望む車窓である。揺れる車内の中では今一つ美しさが伝わらないのが残念だ。

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そうこうしているうちに人吉に到着。短い1時間だった。

しかし今日の行程上の難所はここである。人吉での次の列車は5分後に発車するがこれは特急であるため乗れない。*5というわけで約3時間ほど待たねばならない。10日間の行程でも最も悪い接続である。

 

ところでTwitterを見てると気になる情報が入ってきた。今日通る鹿児島本線遠賀川駅で火災が起き、運転を見合わせているという。通るのは7時間半後だが、大丈夫だろうか。

 

人吉と言えば温泉街のイメージがある。午前中から風呂でも浴びるのも乙なものだろうか。

観光案内をもらい地図を見ると、歩いて5分ほどのところに物産館に併設した無料開放の足湯がある。とりあえずここに入り、どうするか考えることにする。

さて足湯に入ってみると…熱い。入ってはすぐに足を出して冷やしつつしないととてもじゃないが入れない。

見回りに来た店員に湯が熱すぎることを伝えると、軽くかき混ぜて帰っていった。これだけでもちょうどよくなった感がある。そんなことに気が付かない私が迂闊だったとも言えるが。

さてちょうどいい湯加減になったので浸かりながらゆっくり地図を見ると鉄道博物館があるようだ。ちょうどいいので行ってみる。

 

…えー、水曜休館だそうです。今日は水曜日です。

 

どうやらあと2時間、人吉の街をぶらつかねばならないらしい。食欲が今一つ出ないので何か食べる気にもならないのが辛い。その前に財布に金が入っていない

球磨焼酎の酒蔵を見るでもなく、なんだかんだで温泉に入ることもなく、消化不良に陥ってしまった人吉観光(?)だった。*6私は旅行は好きだが観光は苦手である。むしろ移動そのものに重点を置いていて肝心なものを忘れていると言うべきか。

 

第4走者:人吉12:19→八代13:41 1226D

さて移動に戻る。これまでの険しい山を越える車窓とは打って変わって、球磨川の急流に沿った深い渓谷を進んでいく。対岸は国道が並走していて景観は良い。

しかしこうした景色がしばらく続き、しかも先ほどまであてもなく炎天下の人吉市街を彷徨ったせいか眠くなってしまった。

目が覚めるとまだ渓谷の中を下っていた。地図を見てみると八代の手前まではしばらくこの調子である。球磨川日本三大急流の一つとされるがなるほど納得である。

少しずつ流れが穏やかになり、駅の周りの集落も少しずつ大きくなってきた。段を過ぎると平地に出て、九州新幹線肥薩おれんじ鉄道の高架をくぐり、ようやく八代である。

乗り換えは5分しかない。すぐに次の列車に乗り換える。

 

第5走者:八代13:46→荒尾15:14 5348M

ここからは鹿児島本線を北上する。ロングシートの車両なのが残念だ。しかし熊本を通るのに2両で足りるのだろうか?既に8割ほど席は埋まっているが…

新八代を過ぎると左側の新幹線の高架から線路が合流した。かつて九州新幹線が部分開業したときは新八代で在来線と対面接続を行っていたため、その名残である。

案外海岸を通らない。沿線は田園地帯が続き、海側には工場が見える。時折住宅街や市街地を通る郊外路線といった趣だ。

白川を渡ると熊本に着く。しかし熊本市街は熊本駅からは遠く、ビジネスホテルと予備校が数軒あるほかは住宅街だった。

熊本を過ぎるといったん山中に入る。とはいえ集落が点在し、それなりの乗降客がいる。

こうした郊外路線を進みながら荒尾に到着。有明海にほど近いが見えない。また時間の短い乗り換えだ。

さて朝の遠賀川駅の火災の影響を確認してみると、まだ遅れがあるという。とはいえダイヤは徐々に回復しているようだ。どうやら影響は小さそうである。 

 

第6走者:荒尾15:15→門司17:47 4256M

門司港行きの快速列車である。熊本県北部から福岡県北東部までを通る幹線のため、大きく人の乗り降りがある。

荒尾を出てしばらくは筑後平野の水郷地帯で、田園地帯が広がっている。

鳥栖で席は埋まった。この先はしばらく住宅街だ。福岡の衛星都市である。

16:23、博多着。半数以上の乗客が降り、それ以上の人が乗ってきた。そろそろ帰宅の時間帯に入るころである。車内はかなりの混雑だ。

停車時刻と時刻表上の時刻を確認してみると遅れはない。どうやらダイヤは復旧したようである。よかった。

17:05頃、火災のあった遠賀川を通過。ホームにはまだかなりの数の作業員と警官がいた。*7

これを過ぎると北九州市に入る。丸2日以上かかって九州の最南端までぐるりと回ったことになる。*8

17:24、スペースワールド着。車内からもヴィーナスやザターンなどが見える。そういえば私は行ったことがない。広島の小学校の修学旅行は九州方面が多数派でスペースワールドでの自由時間があることが多かったようだが、私が通っていた小学校は関西方面で自由時間はUSJだった。その後九州に行く機会もなかったので仕方ないといえば仕方ないのだが。

17:47、門司着。丸2日以上かかった九州一周も終わりである。

 

第7走者:門司17:53→下関18:00 5220M

門司駅構内で交流と直流が切り替わるため、発車後すぐに30秒ほど電気が消える。

5分ほどで関門トンネルを抜け、本州に帰還。

下関着。ここで夕食を購入。相変わらずの粗食である。

 

第8走者:下関18:26→新山口19:38 3420M

接近チャイムの音が聞き慣れたものになった。どこか懐かしいものを感じる。広義の広島に帰ってきた*9

1日目同様今回も山口県の横断だが、今回は新山口で乗り換えがある。

幡生から左側に線路が分岐していった。遠く京都まで続く山陰本線である。幡生~京都は距離的にはさほど変わらないが、ディーゼル車が大半を占める山陰本線は進むのが遅い。そのため山陽本線を東に進む。*10

下関ではかなりの数の立ち客がいたが止まるごとに少しずつ減っていき、宇部で席が空いた。それとともに日も暮れ、暗闇に包まれていった。

1日目には見えていた景色も夜では何も見えない。街から離れているので真っ暗である。

新山口に到着。向かい側の列車に乗り換える。

 

第9走者:新山口19:41→岩国21:45 3360M

思ったほどの混雑ではない。ところどころ席が空いている。

駅の間はわずかばかりの道明かりと踏切しかない。昼間は何度もシャッターを切った周防灘も真っ暗である。

20:22、徳山着。車掌や駅の放送から新幹線の乗り換え案内が聞こえる。ああ、新幹線に乗りたい…

次の櫛ケ浜で左側に線路が分岐する。岩国まで山の中を直線状に結ぶ岩徳線である。戦時中山陽本線の輸送量を増強する目的で敷設されたものの、急勾配や長いトンネルがある関係で海側の柳井線に役目を奪われローカル線になってしまった路線である。しかし岩徳線の影響は意外なところに及び、新幹線の運賃計算にも影響を及ぼしているのだが話が逸れすぎるので脚注で述べる。*11

外の景色が楽しめないので台風情報を確認する。どうやら少し遅くなっているようで北海道にいるころ台風が直撃するようだ。どうやらしばらく待たねばならないらしい。

その後もぼんやりとしながらしていると岩国到着のアナウンスがあった。やはり夜の移動というのは時間が長く感じる。記述量は減る。

疲れたがまだ終わりではない。次の列車はまだ来ていないのでじっとベンチで待つ。吹き抜ける夜風が涼しいことにふと気づいた。昼はまだまだ暑いが秋は着実に来ている。

 

第10走者:岩国22:06→広島22:58 1582M

ガラガラの車内に座った瞬間眠気が襲い掛かった。やはり疲れている。旅はまだ1/3にもなっていないのだが…先が思いやられる。

前空を過ぎると街明かりが増え、広島湾を挟んで広島市街の街明かりがきらめいている。

そうこうしているうちに広島着。実家に帰る。

親との協議の末、広島発は9/3となった。台風が北海道を過ぎ去るのを待ってから、ということである。

 

移動距離…611.8km

通過した駅の数…175

*1:八代~川内間は現在の肥薩おれんじ鉄道。かつて鹿児島本線が全通するまでは現在の肥薩線鹿児島本線と呼ばれていた

*2:大隅横川駅舎の柱には機銃掃射の跡もあるという

*3:他の二つは長野県の

*4:一日2往復の観光列車「いさぶろう・しんんぺい」では5分ほどの停車時間を設け、ホームに降りる時間を設けている。この駅に限らず吉松~人吉間各駅で若干の停車時間を設けている

*5:課金すると後の行程は楽になるけど

*6:そんなのだったらくま川鉄道往復すればよかった気はする

*7:原因は駅構内のたい焼き屋の火の不始末だという。この火災により駅舎全焼し

取り壊しが決まったようだ。

*8:正確には重なっている区間があるから円じゃないけど

*9:下関はJR西日本広島支社管内である

*10:今回の旅行では半分以上は被っています。時間がないので仕方ないですね…

*11:新幹線は原則として「並行する在来線の一部」としており、山陽新幹線も例外ではない。しかし岩国~櫛ケ浜は先述の経緯から山陽本線より距離の短い岩徳線回りで運賃が計算される。新大阪~博多間の場合、岩徳線がなければ220円運賃が高くなっているはずである

No.7-2 18きっぷ日本一周2日目 佐伯~枕崎~鹿児島中央(2017/8/29)

この日の朝は北朝鮮がミサイルを発射したが、発射した方向が北日本方面だったせいかJアラートは鳴らなかった。

6:00頃ホテルをチェックアウトし、そのまま駅へ。少し霧がかかっているようだが雨は降らないようだ。

 

第1走者:佐伯6:18→延岡7:34 2761D

県境の山越え区間であるため沿線人口が少なく、普通列車は3往復しかない。*1また今回の旅行では初めてのディーゼル車である。延岡では3人しか乗ってこなかった。

さて佐伯を離れると間もなく山の中に入っていく。並走する道を時折車が通るだけで、それ以外はわずかな集落と森しか見えない。段々と霧も深くなってきた。

北川を過ぎると中高生が乗ってきた。乗り遅れたら大変だろうというのは大きなお世話だろうか。

下るにつれて霧も晴れてきた。今日もいい天気である。

定刻に延岡に到着。3分しか乗り換えの時間がないので急いで跨線橋を渡った。

第2走者:延岡7:37→宮崎9:07 6943M

通学の高校生でいっぱいだったが席は確保できた。左側に座ってしまったため朝日が眩しいが、日向灘がよく見える。

7:48、土々呂を発車。ととろと読む。…バスの営業所はあったが、残念ながらネコバスと思しきものは見当たらなかった。

門川、日向市で高校生は下りたがあまり席は空かない。

朝が早かったのに昨夜あまり寝れなかったせいか段々と眠くなってきた。車窓が海沿いではあるものの単調なせいもある。

いつの間にか寝てしまったらしい。気が付くとかなり混んでいた。車内のLEDを見ると次は宮崎、乗り換えである。危なかった。

この列車は西都城行きであるが、このまま乗ると都城で2時間半以上待たなければならない。明るいうちに枕崎に着きたいので、先に発車する特急に乗り換えるためここで降りる。大半の人が下車し、降りた後はガランとしていた。

というわけで都城まで特急で先行するため乗車券と特急券を購入するため改札を抜ける。

宮崎駅の構造は少々特殊だ。1,2番線ホームと3,4番線ホームに分かれているのだが、なんと改札がホームごとに分かれているのだ。つまり宮崎でもしホームをまたぐ乗り換えをしなければならない場合、必ず改札を通らなければならないということである。

一旦18きっぷをしまい、宮崎から都城までの乗車券を自動改札に通した。

 

第3走者:宮崎9:20→都城10:07 6007M「きりしま7号」

乗るのは鹿児島中央行きの特急である。JRの在来線特急に乗るのはいつ以来だろうかと記憶を辿ってみたがおそらく小6で乗ったのが最後である。*2

自由席は半分くらいの乗車率だろうか。それなりに需要はあるようである。ちなみに指定席とグリーン席を覗いてみると数人座っていた。

清武を過ぎると徐々に山の中へと分け入っていき、田野を過ぎると山越えで人の気配はない。

山之口で山を越え、都城盆地へと入っていく。霞んでいるが霧島の峰も見える。

50分足らずで都城に到着。下りたのはごく少数のようだった。

 宮崎第二の都市だが、高い建物はなくのどかな街である。ふと見上げたら青々とした空が広がっていた。

 

第4走者:都城10:24→鹿児島中央11:54 6943M

県境を超える区間は流動が少ないため、普通列車の車内は運行本数も少なく車内もガランとしていることが多い。*3この区間もそうで、西都城を過ぎると国分までは2時間に1本程度しかない。西都城を発車した時点では乗っていた車両は10人もいなかった。

鹿児島県に入ってすぐの財部を過ぎると徐々に民家が減り、山の中を分け入っていく。駅に人はいないが、それでも一駅一駅丹念にドアを開け閉めし、時には対向列車の行き違いをするため5分ほど止まったりもする。

ふと車内の会話に耳を傾ければ、少し違和感のあるアクセントの会話が聞こえてきた。鹿児島訛りというものだろう。方言には詳しくないが津軽弁のそれと似たような感じがする。

霧島神宮を過ぎると山を下り始め、木々の隙間から霧島市の街並みが見下ろせる。かすかに錦江湾こと鹿児島湾も見えた。

国分から人がどっと乗ってきた。鹿児島までの行動範囲内はここまでのようである。事実この区間からは列車の本数が多い。

次の隼人を過ぎると鹿児島湾沿いに進む。進行方向左側に見える山は桜島で間違いない。今日は穏やかに煙を吐いていた。

不覚…都城で右側に座ってしまった…写真が撮れない…

鹿児島に到着。相応の人がおり、またそれなりの人が乗ってきた。この列車は鹿児島中央から先は鹿児島本線に入り、伊集院まで向かう列車である。

続いてかつての西鹿児島で、九州新幹線開業と同時に名を変えた鹿児島中央に到着。ここで降りる。

 

第5走者:鹿児島中央12:05→西大山13:38 1337D

さてここからは一路最南端へ、指宿枕崎線の列車である。

谷山までは市電と並行し、坂之上までは住宅街を進む郊外路線といった趣だが、さらに進むと少しずつ人家が減ってくる。平川からは海岸沿いに進み、進行方向左側は並走する国道と鹿児島湾、大隅半島が見え、後方には桜島が遮るものがなく見える。集落は山側にあるが少しずつ密度が小さくなってきた。

中名を過ぎると巨大なタンク群が見えてきた。喜入の石油備蓄基地である。日本の石油消費量の2週間分を貯蔵し、大型タンカーが入れない港への中継基地も担っている。

薩摩今和泉駅のホームに掲げてあった看板を読むと、「ゆくさおじゃいした薩摩今和泉篤姫の里」とある。そういえば篤姫は島津家の出であるが…ゆくさおじゃいしたがようこそいらっしゃいましたの意と気づくのに数秒かかってしまった。早口で話しかけられたら聞き返してしまうだろう。何せ太平洋戦争中は鹿児島弁を日本軍の暗号としていたぐらいである。

五位野で空いたが指宿はかなりの人がいた。空いてからは4人のコンパートメントを一人で占領していたがそれを諦めなければならないかと思っていたが、どうやら鹿児島方面の列車を待っていたようである。指宿は温泉街、待っている客もやはり高齢者が多い。

次の山川までは1時間に1本程度あるが、山川から先、枕崎まではわずか1日6往復である。半分くらいは同業者だろうか。

そして…

 「次はJR最南端、西大山駅です。ホームより薩摩富士と呼ばれる標高924mの開聞岳を望むことができます。」

 

 

 

定刻13:38、西大山到着。JRの駅としては日本最南端の駅である。*4周囲はサツマイモ畑とヒマワリの花畑がが広がり、目ぼしい建物は商店を兼ねた漬物工場しかない。遠くに見えるのは薩摩富士、開聞岳だ。

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とはいえ「JR最南端の駅」というネームバリューがあるため、駐車場が整備されていて観光客は多い。ツアーバスも来るため駅前は賑わっている。

ただ、JR最南端とはいえ最北端の稚内と違い東西に線路が伸びている中でたまたま一番南の駅というだけであり*5、最南端という実感は今一つ欠ける印象である。最南端到達の証明書買ったけど。

というわけで「JR真の最南端」、枕崎に向かう。しかし次の列車まで4時間ほどあるため時間をつぶさねばならないが…何もなさ過ぎて辛い。レンタサイクルで適当にぶらつくことも考えたが、暑くて動きたくないのが本音である。結局商店の軒下で涼むことにした。

列車が来ると大勢の人がカメラを向けるが、乗り降りする人はごく少数である。昼間に発着する列車は撮影用に2分ほどの停車時間を設けているが、オフシーズンはただむなしく過ぎるだけだろう。

夕方になってくるとさすがに訪問客が減ってきた。周囲に何もないため静かである。

 

日も暮れようかという時間になり、ようやく下り列車が来た。乗ったのは私一人、降りたのは2人だけだった。

 

第6走者:西大山17:32→枕崎18:26 1347D

2両のディーゼル車、乗客は10人ほどだろうか。左手に開聞岳、右手に畑を望みながら駅舎すらない小駅に止まっていく。1日の利用客数が1人にも満たない駅ばかりである。

穎娃を過ぎると森やサツマイモ畑が広がる車窓である。乗り降りもないので少々退屈だ。

 

定刻18:26、日本最南端の始発・終着駅、枕崎に到着。神戸から1093.5km、東京~下関に匹敵する。

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瀟洒な駅舎は枕崎市民の寄付によって新造されたという。無人駅故改札はなく、待合室と観光案内のパンフレットが置いてあるだけだ。

もっといたかったが次の列車は1時間半ほどないため折り返しの列車に乗る。*6

 

第7走者:枕崎18:35→山川19:37 5334D

さてここから北の果て、稚内への長い長い旅が始まる。

 

とはいえ夕暮れの元来た線路を引き返すだけである。間もなく日が暮れてしまい、ごくわずかな客を乗せた列車はただひたすらに漆黒の闇の中を進んでいく。

すっかり日の落ちた19:28、西大山に到着。車内放送も日本最南端の駅とは説明せずごく普通の簡単な放送である。昼間の喧騒はどこへやら、駅にいたのは撮り鉄であろう2人組が駅にいただけだった。

程なくして山川に到着。乗り換えの時間が短いので急いで構内の踏切を渡ったが、次の列車もガランとしていた。ほぼ全員が乗り換えたようである。

 

第8走者:山川19:40→鹿児島中央20:53 1358D

ロングシートの車両であるが、通路を挟んで向かい側に外国人バックパッカー2人組が座ってきた。大きい荷物で大変そうだと思ったが、私も似たようなものである。むしろこちらはカバンが2つなのでさらにしんどいまである。

そんなことくだらないことを考えながら鹿児島湾沿いに北上していた。*7

市内方面のため人の乗り降りも少ない。

都会の街明かりの中に入り、20:53鹿児島中央到着。ホテルにチェックインしたのち、街に出て鹿児島名物の黒豚トンカツの夕食をとった。今回の旅行中数少ない、まともな食事である*8

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先にも書いたが鹿児島は路面電車の街である。*9店に向かう途中でも路面電車が走り抜けていった。

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広島で育った私にとって路面電車のある街並みというのは見慣れたものであり、素晴らしいものだと感じる。観光のために残すのではなく、きちんと市民の足として残してほしいものである。

 

そのままホテルに戻り、この日の移動を終えた。

 

ただ、台風の動きが不安である。というより北海道に上陸するころにちょうど直撃である。親との協議の末、翌日実家広島に着いたのちしばらく様子を見ることが決まった。

 

移動距離…443.6km*10

通過した駅の数…延べ125*11*12

*1:しかも朝に1本、夕方と夜に1本ずつであるためこれを逃すと普通列車は10時間ほどない。幸い特急が13往復あるためカバーできなくはないが…

*2:寝台特急は除く

*3:もちろん首都圏や関西圏など一定の例外はある

*4:私鉄も含めた日本最南端の駅は那覇市にある沖縄都市モノレールゆいレール」の赤嶺駅。2015年に訪問済み。

*5:この点は最東端の東根室でも似たような事情がある

*6:とはいえ後で考えればそれで鹿児島中央に帰ってもよかった気がする。

*7:夜は車窓が楽しめない以上、考えごとなり明日の行程の確認をしながら乗っています。そのため記述量が少なくなってすみません…

*8:食欲センサーが働かないからね、仕方ないね。正直自分の中で旅行中の食事の優先度は最低レベルですはい

*9:日本で初めて車内に冷房を取り付けたのも鹿児島市電である。桜島の降灰があって窓が開けられないためだ。

*10:佐伯~枕崎~鹿児島中央

*11:上岡(佐伯の次の駅)~枕崎~鹿児島中央

*12:以後、2度目に通った駅もカウントします