ちかちーの旅log!

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No.7-7 18きっぷ日本一周7日目 札幌~南稚内(~宗谷岬)(2017/9/6)

ホテルを後にし、朝食をかき込んでいよいよ今日は最北の地に向かう。

今日の移動では昨日以上に接続が悪いのがやっかいである。逆に言えば街を回る時間が出来るとも言える。有効活用したいものだ。

 

第1走者:札幌6:00→旭川8:54 923D

階段を上ってすぐの車両を見てガラガラだと思ったらその車両は回送車両だった。客は入れないので空いていて当然である。仕方ないので前2両に行くとこちらは既に席が埋まりつつあった。

白石で千歳線と分かれ、北東に向かう。車内を見回すとこの時間からもう高校生が乗っている。朝早くからの通学は大変だろう。

江別までは札幌圏内の住宅街を進んでいくが、江別を過ぎると急激に家の数が少なくなり農村地帯になる。ここから深川までは途中いくつか都市があるものの、ほとんど似たような風景である。とはいえ幹線で沿線の人口は少なくはないため、前日の函館本線のような人工物のない車窓ではなく、普通列車しか止まらない駅でもそれなりの体裁を整えている。

地図を見てみると北海道の線路は気持ちいいくらいにまっすぐ伸びている。起伏も少ないのでディーゼルカーもこれまでにさんざん乗ってきたような重い足取りではなく、高速で飛ばしている。

岩見沢で1/3ほど席が空いた。ここまでが札幌圏内なのだろう。事実岩見沢までは本数がかなりあるが、その先の滝川、深川のあたりは本数が急激に少なくなる。高校生はまだ乗っている。さらにここで旭川行特急の退避をする。

高校生は美唄で降りて行った。往復で100km前後の通学を毎日していることになる。

この辺りから右手は山々が見え始める。かつてこの辺りは炭鉱で栄え、炭山まで線路も引かれていたが今はその様子を偲ぶことはできない。人口減少も著しく、日本一少ない「市」である歌志内市*1もこの近くである。

滝川での特急の退避中に回送車両を切り離し、さらにここからワンマン列車になった。

今日この列車に乗った理由は滝川~深川の本数の少なさにある。特急列車に限ればほぼ30分に1本なのだが、滝川発の次の普通列車は約4時間ほど空いていて、これでは稚内行きに間に合わないからである。ところで席は半分ほど埋まったままだが私を含め何人が18きっぱーなのか気になるところである。検札がないので分かりようもないのだが。

深川を過ぎると広い石狩平野が終わり、何本かトンネルを抜けると旭川に着いた。駅に隣接してイオンモールがあり、非常に近代的な駅である。*2とりあえず開店したばかりの店に入ってみると眩しさを感じた。

 

さて、ここで重要なポイントを押さえておかねばならない。

次は宗谷本線でさらに北上…とはいかないのが今日の日程である。途中名寄まではかなりの本数があるものの、名寄以北は本数が激減し旭川から稚内まで走破出来る普通列車は1日2本しかない。そのうちの1本は朝6時過ぎなので、これから乗る列車が本日の稚内行きの最終である。だが、それに乗るには旭川だと12:31まで待たねばならない。*3翌日も旭川で待ち時間があるので2日とも旭川で潰すのは愚の骨頂だろう。

調べてみると富良野線の列車があるようだ。富良野まで往復している時間はないが、途中美瑛までなら可能なようである。駅前を見る程度では期待はできないが、とりあえずこれに乗る。

 

第2走者:旭川9:38→美瑛10:13 727D

富良野行きの普通列車である。発車間際に乗り込むと2両編成の列車は観光客で既に満席で立ち客もいた。これは予想外だった。美瑛も富良野も著名な観光地だが、鉄道でのアクセスは良いとは言い難い。*4

 

旭川を出てしばらくは住宅街である。だが無人駅の連続だ。またホームも短く、私のいる2両目の最後部はホームにかかってすらない駅もある。*5

西御料の辺りから田園地帯になる。そういえば富良野線はこの西御料などで始める駅がいくつかあるが、これは鉄道が集落の西側に敷かれたのが理由のようだ。そのため西のつかない駅名は存在しない。

その後も小規模な集落の中にある駅を通り、美瑛に到着。観光地の駅らしく駅員が配置され、趣のある駅舎である。

中国人らしい観光客の一団が駅のコンコースでガイドの説明を聞いていた。駅舎自体も町の観光スポットのようである。その一団を通り抜け駅の外に出ると、こじゃれた建物が並んでいた。

流石に20分では駅前を見るのが精いっぱいだ。観光案内所で展示されているものを駆け足で見て回り、駅に戻った。ラベンダーで知られる富良野とともに後日ゆっくり巡りたい町である。

ホームに戻ると、丘の上に広がる青空が綺麗なことにふと気が付いた。起伏の多い美瑛では、丘の傾斜地に畑を拓き、輪作*6をしている。色とりどりの作物が育てられている様子がパッチワークに喩えられ観光名所の一つとなっているのだが、ホームからではその様子を窺い知ることはできなかった。

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第3走者:美瑛10:36→旭川11:12 728D

流石にこちら側に乗っている人は少なかった。席に座り、ゆっくりと外を眺められる。とはいえついさっき通ってきたものを引き返すだけなので特にどうということはないのだが、ともかくもしばらくは田園地帯の中にあるわずかながらの集落を進み、しばらくすると旭川郊外の住宅街を進む車窓である。旭川空港がこの近くにあるはずだが、Flightradar24によればこの時間に離着陸する便はないようだ。

 

定刻に旭川着。まだ時間はあるが、名寄まで先行し名寄の町を巡るとする。名寄での乗り換えは次の日もあるが時間があまりないのだ。

 

第4走者:旭川11:29→名寄12:52 3321D「なよろ1号」

快速列車にしては珍しい、号数のついた列車である。読んで字のごとく旭川名寄を結ぶ快速列車である。車内はほとんど席が埋まっていた。

貨物ターミナルのある新旭川の先までは電化されているが、そこから先はひたすら非電化の路線だ。また新旭川石北本線が分岐した後は稚内まで一切の鉄道路線とつながっておらず、宗谷本線は日本一の長さを持つ盲腸線としても知られている。

永山までは旭川の郊外住宅街としての役目を果たしているが、そこからしばらくは農村地帯になる。北海道らしい真っすぐな線路が続く。名寄までは高速運転が可能なように線路を改良しているため、ここを走る特急も120kmで飛ばしている。

蘭留を過ぎると森の中に入り、この間に塩狩峠のある塩狩を通過する。三浦綾子の小説「塩狩峠」の舞台で、この話の元である貨物事故がここで起きている。

塩狩を過ぎると名寄盆地に入り、再び農耕地帯に入る。この辺りから駅の周りに民家が見当たらない駅が出始める。とはいえ青々とした稲の生えた田畑が広がっているため、近くに人のいる様子は窺える。名寄までは周辺に町としての機能がある少し大きな駅と、短いホームしかなく周辺に民家が(ほとんど)ない駅ばかりだ。快速なので後者の駅は容赦なく通過していくが、仮に普通列車が止まったとしても利用客がいるとは思えないようなものばかりである。

定刻に名寄着。宗谷本線の道中にある都市では最大で、旭川からここまでは1~2時間に1本程度ある。稚内行きに間に合う列車はもう1本あるのでここで改札を出た客は大半が名寄までの利用なのだろう。まずまずの利用があるようだ。

 

さて、一旦日付が戻る。

広島で足止めを食らった際に行程に変更がないか確認をしたついでに調べてみると、この後乗る稚内行きの列車と日本最北端の地、宗谷岬を通るバスが接続していることが分かった。せっかくここまで来たのである。この機会に宗谷岬に向かうことにした。

バスは稚内駅バスターミナル出発だが稚内では間に合わず、一つ手前の南稚内で接続しているようだ。最南端の西大山や枕崎と違い鉄道で向かうことができなくなるがこれは致し方ない。

 

日付を今日に戻す。というわけで、宿に到着が遅れる連絡をしなければならない。宿を予約した際に予約サイトでは予めバスが稚内につく時間に合わせたチェックインができず、20時以降のチェックインになる場合は当日に電話をしなければならないという由なのだ。

 

宿「はい、○○(ホテル名)でございます。」

私「今日20時にチェックインの予約をしています△△です。チェックインの時間を22:30頃に変更したいのですが」

宿「えっ…(ちょっと間が開く)利尻とか礼文に行かれてから来られるのですか?」*7

私「いえ、宗谷岬の方に向かってから22:00稚内駅着のバスでそちらに向かいます」

宿「あーなるほど、分かりました。ちなみに明日の朝は何時にご出発の予定ですかね?」

私「5時過ぎですかね…稚内5:20発の列車に乗るんで…」

宿「おぉーお忙しいんですね…分かりました、22:30頃のチェックインですね。お待ちしております」

私「すみません、よろしくお願いします」

 

稚内まで来てこんな慌ただしい観光客(?)は珍しいのだろうか。向こうが若干引いているのが電話越しに伝わってきた。

私も駅を出て、名寄の町を回るとする。盆地にあるせいか長袖では暑い。

北海道ではよくある碁盤状に区切られた街である。街の中心部は駅の西側の少し離れたところを走る国道沿いのようで、駅前の商店街はシャッターが目立つ。

国道はそうでもないが人通りが少ない。平日昼間なのだが多少心配になる。とはいえスーパーに入ってみるとそれなりに賑わっているあたり、車社会の街なのだろう。後で詳しく述べるが北海道の鉄道はモータリゼーションと過疎化の前に危機的状況に立たされているのだ。

そういえば昼飯を取っていない。何となく入ったスーパーにフードコートがあったので、そこで済ませるとする。ついでに稚内まで飲食物の補給もできないので買っておく。

 

その後も適当に回っているとちょうどいい時間になった。駅に戻り、改札が始まるのを待つ。

 

第5走者:名寄14:52→南稚内19:44 4227D→4331D*8

 

いよいよ最北の地に向かう列車である。乗客は10人ほどだ。全員が18きっぱーかと思いきやそうでもないらしく、名寄から通常の乗車券で佐久に向かうというおじいさんがいた。

窓と席の位置関係がちぐはぐな列車で、外が見えやすい席を確保しなければならない。この列車の座席は廃車になった特急用車両の座席を転用したもので、小さいながらテーブルが付いている。

 

ところで、車内が暑過ぎる。扇風機をかけてさらに窓を開けているがそれでも何かがおかしい。

すると名寄の次の日進を発車後、運転手からこんなアナウンスが流れた。

「ただいま日進駅で停車中、暖房バルブを外す作業を行ったため、この列車は日進駅を約2分ほど遅れて発車しました」

えーと…つまりこんな暑いのに暖房かかっていたってことですか…?名寄駅前の温度計を見たら気温27度だったんですけど…?

ただ切っても暑いので窓を開ける。だがこれが案外重く、風が入るほどの隙間を開けるのが難しい。

名寄を過ぎるとしばらくは農村地帯を進む。ホーム上に駅舎がない駅もあり、民家はまばらなのもそれまで通りだ。だが智北の辺りから徐々に農地ですらない湿地や草原が現れ始める。もうそろそろで稲作の北限だろう。

日が傾き始め、西日が眩しい。時折急カーブを徐行しながらパスしつつ、天塩川に沿って人工物がほとんどない場所の北上を続ける。名寄からは高速化の改良工事がなされておらず、特急列車も最高速度は95kmに制限されている。そのため名寄まで比較的真っすぐな線路が多い印象だったが、今は細かいカーブの連続だ。木々も線路脇まで迫り、時折車体を掠めそうになる。

16:05、音威子府着。宗谷本線の中間地点はこのあたりだ。ここで車両番号が変わる。

さて音威子府に着いてからこのような放送があった。

音威子府駅ではしばらく停車いたします。なお改札業務を16:10で終了するため、その後は後ろのドアを閉めますので*9、以降は前のドアよりご乗降をお願いいたします。発車は17:07の予定です。なお駅での放送案内はございませんので、お乗り遅れのないようお気を付けください」

 

1時間以上の停車を「しばらく」と言い張るJR北海道クォリティー…流石である(?)

車内にいても仕方ないのでホームに出る。特急停車駅なのでホームが長い。ちなみに音威子府村の人口は約750人で、特急停車駅のある自治体としては日本一人口の少ない自治体である。

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ロッジのようなモダンな駅舎である。ホームにあるベンチは木でできた汽車の形をしていた。

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乗り場が出ていない件について…(まぁ駅の時刻表を見ればいいが…)行き先についても幌延行きの列車はない…一種の飾りのようなものなのだろうか。とはいえ電光掲示板ではないこうした案内はあまり見た記憶がない。あるかないかのどちらかだからである。

 

まもなく窓口のシャッターが閉まり、有人駅としての機能を終えた。

駅舎の中に蕎麦屋があるが15:30までの営業、しかも水曜定休だったのでどうしようもない。ここの蕎麦屋は美味と評判だそうなので、開いているときにまた訪れたいものである。

駅前に出るとちょうどバスが来た。駅前は日本最北端のバス会社、宗谷バスのターミナルである。とはいえバスターミナルといってもバス停がぽつんとあるだけで、待合室や切符の販売所は駅舎の中である。行き先は鬼志別行となっていた。日本最北の村、猿払村の中心部である。こうして見るといよいよ日本最北端というものが現実的なものになってきた。

駅前を軽く見て回ったが住宅ばかりで、歩行者はおろか通る車すらなかった。

 

さて駅に戻り、駅舎の中にある博物館を見学する。何の博物館か紹介する前に、まずはこの2枚を比べてほしい。

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(出典:https://trafficnews.jp/post/59283/)

1枚目は1964年当時の旧国鉄の鉄道網、2枚目は2016年10月時点でのJR北海道の鉄道網である。この約50年で北海道の鉄道は4割ほどが廃線になり、最近では2016年12月に留萌本線の一部が廃線になり、報道でも取り上げられたのでご存知の方もいるだろう。

元々は開発と殖民のために建設されたのが北海道の鉄道である。だが炭鉱の衰退、モータリゼーションの発達、さらには農村部の過疎化・札幌への一極集中化により整理が行われた結果多くの路線が廃線となった。一部の駅は保存され、資料館などの施設になっている。

音威子府駅にある博物館は廃線になった路線の一つ、天北線の博物館である。

天北線はここ音威子府からオホーツク海を回って再び南稚内で合流する路線である。先ほど駅前で見たバスはこの天北線廃線になった後設定された代替交通機関である。

大きなものではないが、今はなき路線の貴重な資料をゆっくり見て回った。

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だが、近い将来今乗っている宗谷本線、ひいては北海道の鉄道の多くが廃線になりかねない報道が2016年に発表された。

http://www.jrhokkaido.co.jp/pdf/161215-5.pdf

何度か述べたが北海道の鉄道、特に道東・道北の鉄道利用の減少が著しく、このままでは今乗っている宗谷本線の北部も含め多くの路線が廃線になる可能性がある。

沿線の人口減少により利用客が減り、地理的条件や気象条件を考慮しても本州以上に維持管理にコストがかかる鉄道路線が多い上、老朽化した設備の更新も必要である。だが利用客の減少は年々続いている以上、赤字額は膨らむばかりなのが現状である。*10

だが日高本線のように沿線の自治体との交渉が上手く行っていない例もあり、過疎地域にある鉄道、ひいては交通手段のあるべき姿というのが問われている。ズブの素人である私が口に出せることではないが、少なくとも沿線住民での安定した利用がないのなら残す意味はないだろう。観光客を呼び寄せるにしても、限界はある。そもそも客が乗ることでしか原則として収入を得られない以上、ある程度の人数が通年で乗ることが必要である。仮に毎回運行して満席になるような観光列車を誘致しても1列車あたりの定員が少なすぎて収入面では全くプラスにならない。あくまでも地元住民にとって必要な交通機関であるべきなのだ。

 

閑話休題

1時間ほどの停車時間だったが案外短く感じた。車内に戻り、再び北上を続ける。

なお乗ってきた客はいなかった。村に中学校や高校はあるがバス利用が主体なのだろう。*11

さて沿線はいよいよ人工物がなくなってきた。駅間の距離が長いのでこれまで以上に秘境という言葉が相応しい。佐久の手前では線路脇にエゾシカがいた。幸い何もなかったが、列車との衝突事故は時折あるようである。

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穏やかな流れの天塩川に夕焼け空が映っていた。草原の奥の遠くの山に日が沈んでいき、一気に周りは暗くなった。

日が暮れると何も見えなくなる。駅ですら灯りは乏しく、駅全体を見ることすら困難だ。当然のことながら人の乗り降りはなく、10人ほどの乗客がただ乗っているだけである。

ようやく街明かりが見えてきた。名寄から5時間近く人の気配のほとんどない場所を進んできたが、ようやく稚内の街が近づいてきた。やはり名寄以北の宗谷本線はほぼ稚内への交通手段としての機能しか残っていないのだろう。

 

あと一駅乗って最北の駅に向かいたい欲を抑え、南稚内で降りる。降りたのは私だけだったが、駅には2人いた。窓口の営業は終わっていたが駅員はまだいるようだ。列車の出発時刻の案内を差し替える必要があるからだろう、1人残っているようである。

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さてこれから宗谷岬に向かうバスに乗る…のだが、バス停が見当たらない。さっきちらっと見えた駅員に聞けばよかったと後悔したが、ブラインドに隠れて見えない。

バス停はどうやら南駅前と言いながら駅前のロータリーではなく、少し離れた大通りにあるようだ。完全に時間をロスしてしまった。間に合うか微妙である。

 

南駅前19:50→宗谷岬20:34 宗谷バス天北宗谷岬線12便(上り)

何とかバス停を見つけ、ほっとした瞬間にバスが来た。きっかり定時の運転である…のだが、私が待っているバス停まで通過しそうな勢いである。思わず手を挙げそうになったが、その前に止まってくれた。

それもそのはず。

私以外の乗客がいないバスはしばらく稚内の街を進んだ後、海沿いの真っ暗な国道を北上し始めた。待合室のあるバス停では律儀に回り込んで停車したが、乗る人はいない。当然私も降りない。バス停の数は多いので次々にアナウンスのテープが流れるが、ただ虚しさを感じるばかりだ。むしろ申し訳なさを感じる。

 

定刻に宗谷岬バス停着。客の誰もいないバスが走り去っていった。あの後終着の鬼志別までに一人でも乗ったのか少し気になる。

 

そして…

 

北緯45度31分22秒、私人が自由に行き来できる場所としては日本最北端の地*12である宗谷岬に到着。真っ暗な海沿いの道を進んできたが、モニュメントの周りは煌々と光っていた。キタキツネがいたのは偶然である。しばらくじっとしていたが、どこかに消えていった。

周辺は公園になっていて、広い駐車場と食堂や売店がいくつかある。当然のことながらもう閉店している。中年男性が一人、ぼんやりとしているだけだった。車や自転車は見当たらないので1時間半ほど前のバスで来たのだろうか。

キタキツネがいなくなったのを確認してからいたところに行ってみる。昼間視界が良ければサハリンが見えるが、今は漁火すらない真っ暗な闇の中である。50mほど離れた浅瀬に海鳥がいるだけだ。

反対側の高台にもいくつか記念碑やハイキングコースがあるようだが真っ暗でまた時間がないので探索は断念した。雨がぱらついてきたのでバス待合室兼休憩所に入ろうとしたところ、入口にクモの巣が張っていた。

 

宗谷岬21:06→稚内駅前フェリーターミナル22:00 宗谷バス天北宗谷岬線10便(下り)

やはり無人のバスがやってきた。乗ったのは私とさっきの中年だけである。さっきも気になったが始発の浜頓別から約1時間50分、1人でも客が乗ったのだろうか。

行きもそうだが誰も乗ってこず、対向車すらまばらな真っ暗な海沿いの国道を進む。

 

40分ほどで稚内の街に戻ってきた。人口3万5000ほどの街だが、色んな店があるだけで相当な大都会に思えてくる。街の中心部は南稚内寄りのようだ。

 

定刻にバスターミナルに到着。近年建て替えられた駅舎が眩しい。駅前には建て替えられる前の駅舎の時の車止めが残されていた。

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食べるところはあるようだが今一つ食欲がないので夕飯は飛ばし、宿に向かう。宿の斜向かいにボウリング場があった。こんなところにボウリング場があったのかとびっくりした。しかもまだ営業中のようである。*13

何はともあれ宿に到着し、今日の移動を終えた。改めて明日5時過ぎに出発の旨を伝えたところ、今朝もそうした人が3人ほどいたという。おそらく同業者だろうが、それでも宗谷岬に寄ってから来るような酔狂な人ではなかったのだろう。

 

何の変哲もないただの湯だろうが、風呂が気持ちよかった。大浴場を一人で占拠できたからかもしれない。

明日の朝は早い。ゆっくり休んで明日からの南下に備えるとしよう。

 

移動距離…441.1km*14

通過した駅の数…97

*1:人口約3500人

*2:駅についての詳しい紹介は次の記事でします

*3:かといって札幌発を遅らせると前述の通り滝川で詰まって間に合わない。特急課金する場合はこの限りではないが…

*4:特に札幌方面

*5:ワンマン運転なので1両目のドアしか開かない。

*6:土地が痩せるのを防ぐために、複数の作物を順繰りに育てること

*7:どちらも稚内のフェリーターミナルからフェリーが出ている

*8:音威子府列車番号変更

*9:つまり無人駅での扱いと同様とするということ

*10:これは北海道に限った話ではなく、全国の過疎地域にある鉄道路線のほぼ全てで言える話である

*11:安定した鉄道利用の需要がある層として学生が挙げられる。このブログでも何度か学生の乗り降りに触れている。だが基本的に短距離の移動が主体なので長距離移動を得意とする鉄道のメリットが活かしづらい

*12:日本国政府の実効支配が及ぶ最北の地は宗谷岬の西北西にある弁天島北方領土を含めると択捉島のカモイワッカ岬である

*13:調べてみると深夜1時まで営業とのことだった

*14:旭川~美瑛の往復も含む。下も同じ。