ちかちーの旅log!

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No.8 飯田線走破+α(2017/12/27~28)

遅くなりましたが2018年、明けましておめでとうございます。本年も更新は中の人の気分次第と取れる時間次第ですが、お付き合いいただければ幸いです。

 

 

さて、一つ報告があります。

このブログと連携させていたTwitterアカウントが永久凍結となってしまいました。

 

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正直、私自身は全く心当たりがなく突然深夜に凍結したというメールが届いただけです。Twitter運営からのメールに原因は書かれていますが全く納得のいくものではなく、詳しい説明は一切ありませんでした。自動返信のようなのでどういう説明をしても意味がないようです…

そのためしばらく当ブログに添付した画像が一部見られない不具合があったことをお詫び申し上げます。現在はあらためて元の画像を添付の上、一部文章を編集しましたが、それでも見られない画像または不自然な文章があればご一報いただけるとありがたいです…。おのれTwitter運営…!

 

閑話休題。 

2017~18年の冬も懲りずに18きっぷを購入し、いくつかの未乗路線に乗ってきました。今回は1回目、中央東線飯田線の乗車記です。2日間ですが1日目の夜出発と短いのでまとめて書きます。

 

第1走者:六甲道19:34→芦屋19:43 228C

 

今回の旅の始まりは珍しく夕方からである。風呂に入り、しっかりと夕食をとってからの出発だ。

 

三宮からの帰宅ラッシュで大混雑である。とはいえたった4駅で乗り換えなので大した問題ではないが、むしろ帰宅する中で厚着をして私服でリュックを持って乗る方に違和感を覚える。というよりこんな時間から旅が始まること自体が異例だ。

 

定刻に芦屋に到着し、すぐに乗り換える。

 

第2走者:芦屋19:45→米原21:28 3522M

 

毎度おなじみ関西のJRを移動する際の強い味方、新快速である。混雑している時間帯のためドアのそばにある補助席にロックがかけられている。西側だと明石でロックが解除されることが多いが、東側だとどこで解除になるのか少し気になっていたのでちょうどいい機会だ。

予想通り人の乗り降りの激しい大阪で席を確保し、通勤ラッシュを見つつ夜の東海道を進む。乗り降りは激しいものの立っている客はなかなか減らず、落ち着いたのは石山のあたりだった。

ところでこの列車は米原行き特急のはるか50号に追い抜かれるダイヤになっている。そのため新快速は内側の緩行線を走り、はるかは外の列車線を走って、新快速が南草津での停車中に追い抜くということになる。ただ大津で追いついてからはるかの停車しない南草津で追い抜かれるまでの停車駅は全く変わらない上、新快速に使われている車両の方が加速が良いので特急が新快速に追い付けない、むしろ追い抜かれるという現象が起きる。

 

さて補助席のロックが解除されたのは草津を発車してからだった。案外使えない範囲は広いようである。ふと外を見るとみぞれが降っている。これから向かう場所も雪が積もっているのだろうか。

定刻に米原に到着。ここでは止んでいるようだがすぐに乗り換えなければならないため詳しくは分からない。

 

第3走者:米原21:30→大垣22:02 242F

あえて時間をずらしたので空いている。とはいえ同業者らしき人がちらほら見える。

出発してすぐに外は雪が積もっていることに気付いた。真っ暗な山の中を車内から漏れた光が白く照らしている。米原で止んでいるように感じたのは気のせいだったようである。近江長岡駅のホームでは真ん中にかき集められた雪で作ったであろう雪だるまがあった。さすが東海道本線沿線では屈指の豪雪地帯なだけはある。

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関ケ原を越えてからもしばらくは雪があったが、大垣まで来るとさすがに雪はなかった。ここで降りる。

 

駅にはすでに何かを待ち構えている人がそこかしこに見える。無論私もその一人であるが、その前に夜食を買っておかなければならない。

普段は短い乗り換え時間で通過するしかないので大垣での初めての途中下車だ。南側が街の中心のようだが、もうほとんどの店が営業を終えており暗い印象がある。北側に行ってみるとショッピングモールがあるがここも大半は22時までの営業のようだ。北側にあるローソンで夜食を購入し、構内に戻った。

駅の中にある売店も22時までの営業だが、ある日だけ22:40までの営業となっている張り紙がしてあった。この日も22:40までの営業であり、私は内心ニヤッとした。

 

とりあえずあとは「あるもの」を待つだけである。

 

第4走者:大垣22:49→東京5:05 9390M 「ムーンライトながら

 

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かつての大垣夜行で、現在は臨時列車に格下げになったものの未だ根強い人気を持つ夜行快速「ムーンライトながら」である。駅の改札や跨線橋で待っていた人々が続々と5番ホームに降りてきた。この列車に乗るのは2013年の夏以来だが、その時とは列車が違うようだ。

 

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前回乗車時はほとんど寝れなかった教訓を生かし、今日は小型の枕とアイマスク、さらに耳栓代わりのイヤホンを持ってきている。

 

大垣では半分ほど席が埋まっての発車である。隣には既に人が来ている。

名古屋でどっと人が乗り、ほぼ席が埋まった。橋脚に車が衝突したとのことで4分遅れているようだが、かなり余裕のあるダイヤを組んでいるので大きな問題にはならないだろう。

 

さて既に私は検札を済ませているのであとは寝るだけだが、防犯上の観点から消灯しない、席が狭い*1、乗客の大半を占めるおじさんたちのいびきがうるさい*2、そもそも私の性格上「旅行の行きはまともに寝られたためしがない」、頻繁にすれ違う貨物がうるさいの理由から全く寝れない。事前に席を取るときに通路側の席を希望してよかったと思う。

 

時折停車する駅で貨物に追い抜かれつつ、真夜中でも煌々と明かりがともる駅以外は真っ暗な中を進んでいく。

 

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3:05着の沼津で少し時間があるので降りてみるときりりと寒い。電光掲示板を見ると一つのホームだけ列車情報だけを表示し、他のホームでは既に営業を終了した旨を表示していた。

 

その後も寝れないままぼんやりとしていると、4:30過ぎから横浜に到着のアナウンスが流れ始めた。まだ真っ暗だがホームには人影もあって、もう新しい一日が始まったようである。

 

定刻に東京に到着。さすがに5時過ぎの東京駅は人こそいるもののまばらである。乗り換えの時間は短いが、問題はなさそうだ。

 

第5走者:東京5:10→八王子6:20 519T

高尾行きの中央線各駅停車である。全国屈指の混雑する路線の一つだがさすがにこの時間なら空いているだろう…と思ったらそんなことはなかった。既に8割ほど席が埋まっている。座った席がドアに近く、冷たい風が入ってくる。ふと広告を見ると箱根駅伝の広告であり、各校が意気込みをぶつけていた。

 

まだ日の出まではしばらく時間があり、昼間なら混んでいるはずの駅もまばらである。しかしそれでも駅ごとに乗り降りがあり、反対側のホームでも待っている人がいる。やはり大都会東京の朝は早い。

 

新宿でかなりの人が乗ってきた。ここから西への通勤の需要も大きいようである。もしかしたら夜勤帰りなのか、それとも早朝に着いた高速バスの客がどこかに行くのかもしれないが。

 

東中野からは現代の東京では考えられないほどの真っすぐな線路が立川まで20km以上も続く。線路が敷かれた1889年当時はここはまだ都会ではなかったのだ。

 

相変わらず人の乗り降りが多く、国立や立川で多少の乗降はあったもののあまり空かない。反対側は既に通勤ラッシュが始まろうとしているようだ。

 

次の列車が八王子始発なのでここで降りる。ここでも案外既に待っている人が多い。売店で買う余裕はなさそうだ。

 

相変わらず風が冷たく吹きさらしのホームで待っていると寒い。ただふとビルの間を見ると少しずつ空が明るくなってきたのが見えた。

 

第6走者:八王子6:33→岡谷9:41(9:47) 429M

 

松本行きの各駅停車である。既にホームには多くの客が入線を待ちわびている。かなり高齢者が多い。格好からするとどこかの山への登山かハイキングだろうか。

とりあえずボックス席に座れたので一安心である。だが後の方で乗ってきた客は席にあり付けず立っていた。やはり東京ですぐに乗り換えて八王子で待つ行程にして正解だったようだ。

 

東京発の大半の中央線の電車の終点である高尾を発車すると、いよいよ都会の喧騒から、山の中へとむかうという印象になる。だが列車が山の中をいく列車らしくないのはご愛嬌である。

しばらくは中央自動車道とほぼ並行しながら進んでいく。一応大月までは東京からの直通の列車もあるが、高尾を過ぎると途端にローカル線らしくなった印象がある。駅も簡素で無人駅もある。

 

神奈川県を掠めて山梨県に入ると、時折長いトンネルを通りながら桂川*3沿いを西に進む。富士山が山の合間から時折顔を出すが進行方向右側の席からでは見えにくい。

 

さすがにほぼ徹夜でながらにのってしまったので眠い。大月のあたりまでうつらうつらとしてしまったようだ。

その大月を過ぎると笹子峠を越える急勾配となる。完成当時は日本一長かった笹子トンネルがあるのもここだ。

 

笹子トンネルとその後の中小トンネルを抜けると甲府盆地の端に入り、眼下に甲府やその周辺の街並みが見える。晴れていて遠くまで見えていて、南アルプスの山々が映える。塩山から甲府に向かうであろう通勤客が徐々に増え、大月で立ち客は少なくなっていた立ち客がまた増えてきた。

 

8:09に甲府着し、少し席に空きができた。ここでは7分停車だが混んでいる車内でしかも慣れない駅で売店に向かうのはリスクが高すぎるだろう。どうやら豊橋まで飲食物は補給できそうにない。

 

韮崎で甲府盆地が途切れ、ここから小淵沢までの25kmはかなりの急勾配が続く難所である。かつては線路が蛇行し、またスイッチバックの駅が連続していることからもいかに難所だったかが伺える。

 

それまでも私は時折手元の路線図をカバンから出して場所を確認をしながら外を見ていたが、韮崎を出発したあたりで八王子からずっと私の隣に座っていた70代であろう男性に声をかけられた。話を聞いているとこの方は元郵便局員で、かつて郵便輸送のあった時代に週に1度新宿から松本までの列車に連結されていた郵便車に乗務していたという。この日は住まいのある所沢から塩尻の近くから趣味の貨物列車の撮影を兼ねて*4、松本に行った際によく世話になっていたという友人が営業している蕎麦屋に向かうとのことである。数日前にも大雪の*5上越国境を抜けて新潟まで旅行をしていたとのことだ。老いてもなお元気な御仁である。それでいて物腰の柔らかい人だ。こういう老人になりたいものである。

やはり私のような若輩は経験という面ではどうにもならない。体力が多少あるため無茶な行程を組んでは色々な路線に乗ってはいるものの、所詮はほとんどが次に訪れる見込みのない1度きりのものである。(仕事とはいえ)何度も何度も通り慣れた路線であり、沿線を知り尽くしている人には敵うはずもない。中央本線の車内で突然始まったマンツーマンの講義を岡谷までただ聞くことしかできなかった。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。」*6というが、このことを深く実感した。

 

さて、この列車は日野春で松本行き特急の退避をするため7分停車するので下りてみる。この駅はかつて蒸気機関車が走っていた時代にはここで給水をするための給水塔があり、50年以上前に蒸気機関車の運行がなくなった今でも給水塔の跡が残されている。駅のホームにある看板によれば「その水は武田勝頼が甲斐新府城構築の際に引こうとした八ヶ岳の水がこの地で織田信長軍の進攻により工事を断念せざるを得なくなった。明治に入り国鉄蒸気機関車の給水に必要な水を確保する際にこの水を利用したこと日野春駅給水塔の誕生である(要約)。」とされている。どこまでが史実なのか知る由もないが、釜無川沿いにあるこの駅は八ヶ岳甲斐駒ケ岳に囲まれた台地にあり、ホームからでも南アルプスの山々が綺麗に見えるのは確かである。雪があるのは山頂付近のわずかな場所だけなのが残念だが。

 

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気温2度と寒いので一通り撮影したらすぐに車内に戻った。だが通過する特急が遅れているようだ。遅れの原因は分からないがこれはまずいことになってきた。次の岡谷での乗り換えはわずか2分しかない。だがこれを逃すと何のためにここに来たのか分からなくなってしまう。*7とりあえず待ってくれることを祈るしかない。

 

結局7分遅れでの発車となった。岡谷で接続待ちはしてくれるとは思うが、ただでさえ綱渡りな行程がさらに怪しくなってきた。

 

小淵沢小海線と別れた。今走っている線路もかなりの勾配のはずだが、右に分かれていく線路がさらに急に見える。その後ろの八ヶ岳は雲を被っていた。

 

茅野の先の信号場から単線になる。この次の上諏訪駅はホームに足湯のある駅だが到着したホームにはないので車内からは分からない。ついでに諏訪湖も分からない。これは進行方向左側にあるから仕方ないのだが。

 

上諏訪の2駅先が岡谷である。さて、どうなるか。

 

第7走者:岡谷9:45(9:49)→豊橋16:16 544M

 

間に合った…ちゃんとホームの向かい側で接続待ちをしてくれていた。岡谷で降りる直前に聞いた「飯田までは右側、そこから先は左側のほうがいい。反対側は山ばかりだから」という男性のアドバイスの通りまずは右側に座った。3割ほど席が埋まっての発車である。

 

第6走者の列車はは塩尻まで長いトンネルを通る。これが現在の中央本線のルートのメインであり、特急列車もここを通る。しかし今通っているのもまた中央本線の一部であり、こちらが旧線である。

この旧線は長いトンネルを避けるように大きく南に迂回している。この区間はかつて中央西線を諏訪から先は伊那谷経由か木曾谷経由かで激しくもめ、結局木曾谷経由となって現在の中央西線となった。だが伊那谷出身の代議士が無理やり伊那谷の一部まで線路を引くように変更させ、現在に至っている。この迂回区間をその代議士の名を取り「大八廻り」と呼ばれている。*8これから通る飯田線の序盤は、その伊那谷を南下していく。

 

さて、この旅の本題である飯田線とはどういう路線なのかを説明しなければならないだろう。

飯田線は辰野~豊橋間を結ぶ195.7kmの路線で、ローカル線にしては珍しく全線が電化されている。これは元は4社の私鉄の直結した路線を国鉄が買収したからである。開業当時の沿線集落ごとに駅が設置されているため駅数が多く、辰野~豊橋まで94駅もある。*9単純に93で割った駅間の平均距離は2.1kmと市街地の路線並みに短い。これに今から7時間近く揺られるのである。

 

岡谷の2駅先、辰野で中央本線と別れ、しばらくは伊那谷の農村地帯を進む。少数ではあるがどの駅でも利用客がいる。

盆地とはいえ平坦なわけではなく、また元が線路規格の低い軽便鉄道であることもあって急勾配や急カーブが多いのも飯田線の特徴の一つである。その中でも赤木~沢渡間には40パーミルという現在のJRの線路では最も急勾配である区間もある。前を見てみるとぱっと見ただけでも上り坂なのが分かる…かと思いきやそんな実感はない。角度に直せばたったの2.3度しかないし、その区間以外にも上り坂があるからである。それでも鉄道にとっては絶壁に近いのだ。

 

そういえばまだ18きっぷに今日の日付を記してもらっていない。岐阜を発車した後のながらで検札を受けて以来一回も検札がなく、改札からも出ていないからだ。というわけでこの列車内で検札を受けてもらった。今日の日付とともに車掌のハンコと今乗っている列車番号が書かれていた。

 

町の中心部に近づくと建物が増えて、遠ざかると再び減るというのを岡谷から約2時間繰り返してきた。さすがに退屈になってくる。だがまだ1/3しか終わっていないし、逃げ道(乗り換え路線)もない。「偉大なるローカル線」だの「最強のローカル線」だのという飯田線の洗礼を今私は思いっきり受けている。

 

元善光寺を過ぎると少しずつ人が増えてきて、少しずつ車内が騒がしくなってきた。飯田線沿線では最大の都市で、将来中央新幹線が通る予定になっている飯田はもうすぐである。

ところで、この地図を見てほしい。(このSSは編集中に撮ったものです。)

 

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急勾配を避けるために飯田市街を大きくΩ形に線路が敷かれていて、明らかに伊那上郷下山村は直線距離の方が短い。なので地元の高校生や体育会系の同業者はあえて下山村で下車し、ダッシュ伊那上郷を目指して伊那上郷で同じ列車に乗りなおすこともあるという。動画なども挙げられているので興味のある方はぜひ「下山ダッシュ」で検索してほしい。私はやろうとも思わないが。

 

飯田で大きく乗り降りがあったが、天竜峡までにその乗った人もほとんどが降りていった。観光地らしく開けた印象のある駅だ。だがここからは静岡県との県境を越える奥深い谷に入る。飯田線の中でももっとも本数の少ない区間であり、最も素晴らしい景色の楽しめる区間でもある。ここからは右側に座る。

 

 

http://hp1.cyberstation.ne.jp/hikyoueki/Top50-2017.html

このページは秘境駅の探訪を目的としたフリーライターによって作成されたランキングの一部だが、3位の小和田をはじめとした秘境駅飯田線だけでいくつもランクインしている。こうした駅もまたこの区間に集中している。

天竜川に沿った人家のない奥深い谷を縫うように進む。駅はあるものの周辺に集落が見当たらないことすらある。*10

 

木々の間から昼過ぎの光に照らされた天竜川が見える。だが急ではないようで流れはゆったりとして、川面が青緑に輝いている。

秘境駅の例として、長野県の南端の駅である中井侍を挙げる。先のランキングで14位に入っている駅だ。

 

崖沿いに人2,3人が通れるほどの幅のホームと、雨程度はしのげるベンチがある。駅の1段上に家屋はあるが人が住んでいるかどうかは分からない。対岸に県道はあるが川を渡る橋すら見当たらない。調べてみると九十九折りの小道の先に小さな集落はあるようだが、ホームから分かるはずもない。このような駅がいくつもある。

中井侍を過ぎると静岡県に入る。ここは一応浜松市なのだが政令指定都市という気配すらない。むしろ先に挙げた小和田は中井侍の次の駅である。ちなみにこの駅は脚注の理由から恋愛成就の駅とされているようだ。*11だがここに停車する列車は現時点で1日17本で、訪れるのは容易ではない。

 

中部天竜まで来ると人家が少しずつ増えてきた。ここまでで奥深い谷は終わり、少しずつ人里へと戻っていく。ここからはあまり記憶がない。とりあえず飯田線の主要な見どころを堪能したので眠り込んでしまったようだ。

 

時折起きていた気もするが、ちゃんと目が覚めたのは新城だった。もう市街地で、乗っている人も多い。もうここまで来ると純粋な郊外路線である。6時間以上走ってきた列車とは思えない。ざっと見て乗り通しているのは前側にいた黒い服を着た中年男性一人だった。背広のようにも見えるが、いったいどこから、どこへ向かうのだろうか。

 

小坂井を過ぎると名鉄の線路に合流する。飯田線名鉄名古屋本線も同じ会社の管轄だった名残である。

 

定刻16:16、豊橋着。乗り換えた岡谷から実に6時間半近くかけて、飯田線を1本の列車で乗り通した。景色がよく体感としての時間はさほど長いわけではなかったが、寝不足なのも手伝って最後は寝てしまったのが残念である。

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全てを撮れたわけではないが、車窓はこんな感じだった。

 

名鉄の車両がホーム向かい側に止まっている。乗り換える場合はホームやコンコースにある所定の機械で処理をするようだが、利用客のミスは多発しないのだろうか。

 

さて、昨夜の大垣以来の飲食物の補充ができた。飯田線内では停車時間はほとんど8分以下で、しかも大きな駅ではないので自販機すらなかったからである。コンビニの蒸しパンがおいしい…。

 

ホームは吹きっ晒しで寒い。内陸でも沿岸でも、寒いものはやっぱり寒いのだ。

 

第8走者:豊橋16:32→米原18:40 2541F

米原まで直通の快速である。ゆっくりと丹念に各駅に止まっていた*12飯田線内の列車と異なり、線形の良い東海道線上を高速で小駅を飛ばしながら走っている。

刈谷から帰宅ラッシュが始まった。実は名古屋市から刈谷市への通勤人数は刈谷市から名古屋市へのそれよりも多いのだ。トヨタ系列の会社が多いからである。だが当然名古屋でも人は降りるのだがそれ以上に乗る人が多いが、まだ空間は残っている。

 

人が少なくなったのはやはり名古屋の通勤圏から外れる大垣からだった。もっとも大垣から先は沿線人口もぐっと減るのだが。

天気は曇っている。昨夜見た雪は関ケ原を過ぎると残っていた。

 

米原に到着する直前に次に乗る列車が信号待ちしているのが見えた。どうやらこの列車がホームに入ってからホームに入るようだ。ここで連結作業をするので先に入れてもよさそうな気はするのだが。

 

第9走者:米原18:47→?? 3523M

播州赤穂行きの新快速である。この辺りはもう見慣れたものだ。ホームには既に前側8両が止まっていて、その後先ほど信号待ちしていた4両が連結される。

とりあえずもう一安心であろう。降りる芦屋までは1時間40分、もうひと眠りしておくとしよう。ここでフラグを構築しました。

 

「1回目に」起きると京都を出たところだった。米原ではガラガラだったが、さすがにここはもうかなり混んでいる。芦屋まではあと30分、停車駅にして4駅である。フラグなんてへし折るものです。偉い人にはそれが分からないのです。

 

…あれ?またいつの間にか寝落ちていたようである。さて、ここはどこだろうか。

 

車内LED掲示板「次は 明石」

 

もしかしなくても寝過ごしたようである。やってしまった…!新大阪までは起きていたはずだが、また寝てしまったようである。

 

明石で車内から電光掲示板を確認すると、まだ向かいの新快速が来るまで少し時間があるようである。次の西明石で折り返すことにした。

 

20:58に西明石着。読み通りすぐに来る対向列車で戻る。フラグを折って元に戻すとかいう隙を生じぬ2段構えで来た」とは、西明石でふとぼやいた私の言葉である。疲れていたのは間違いない。

 

第10走者:西明石21:01→三ノ宮21:22 3536M

とりあえずこの20分間は起きておくことに努める。とはいえ写真の整理作業に集中して降り過ごしてもいけない。とりあえず真っ暗な外を見るほかなかった。

 

第11走者:三ノ宮21:24→六甲道21:28 836T

よかった、快速に乗れる。快速なら三ノ宮の次が六甲道なので、三ノ宮を発車したらドアにもたれていれば降り過ごすことはないからだ。

 

20:39到着の予定から約50分ほど遅れた21:28、六甲道到着。最後に思わぬハプニングがあったが、0泊2日、飯田線走破の旅を終えた。

 

移動時間…25:56*13

移動距離…1346.5km*14

*1:これは普段高速バスでも意図的に極力4列車を避けているので仕方ないのだが

*2:大垣夜行時代からの玄人なのか耳栓やアイマスクなしでも爆睡している人多数

*3:下流では相模川

*4:一眼レフカメラに貨物列車の時刻表と機関車の配属と思われる冊子を持っていた

*5:夜間は列車の運行が一切なく、水上発の一番列車(本ブログのNo.7-5参照)に乗ったところ「まるで列車が雪の壁に突っ込むような」状態で、ヒーターのある運転士の窓の一部を除き曇って何も見えなかったという

*6:徒然草第52段より

*7:一応私にとって初めての山梨県と長野県訪問ではあるが…

*8:代議士の名は伊藤大八。ただ、このルートにしなかった場合長大トンネルを掘る必要があり、それを回避するためだともされる。新線の開業は1983年と鉄道路線としては非常に新しい路線である。

*9:ちなみに大阪から東海道本線を東に94駅進むと静岡県島田駅に、東海道山陽本線を西に94駅進むと広島駅に着く。

*10:川の対岸に集落があり、1車線程度の橋でつながっていることもあるが、中には小和田のように既に駅周辺の集落自体が消滅している駅もある

*11:現皇太子と雅子妃とのご成婚の際、雅子妃の旧姓と表記が同じであることからだという。出典:http://www.asahi.com/travel/rail/news/NGY200908150007.html

*12:正確には豊橋近郊で2駅通過しているが

*13:乗り過ごした49分を含む

*14:乗り過ごした30.0km*2を含む