ちかちーの旅log!

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No.10-1 三江線最終探訪(2018/3/27~28)

このブログでも何度か取り上げた三江線は、去る3/31を以て全線が廃線となった。本州での100km以上の盲腸線でない路線*1が一度に廃線となったのは初めての事例であり、現状の地方閑散路線を取り巻く状況の厳しさが如実に表されている。

 

No.3-2でも取り上げたが、廃線が明確に決まってからはいわゆる「葬式鉄」が多く訪れ、おそらく開業以来最初で最後の大賑わいを見せた。それに応えたJR西日本廃線前最後の2週間に限り、全線乗り通しできる列車を1往復追加し、よその車両基地からの車両も回してまで可能な限り両数を増やして対応に当たった。

 

今回は2回にわたり、その様子を取り上げることにしたい。

 

本来はNo.3-2の訪問を以て三江線の最後の乗車とするつもりだった。だが、その記事でも取り上げたある動画によって気が変わってしまった。

 

www.nicovideo.jp

 

三江線の見どころのある駅というと宇都井と潮しか知らなかったが、この動画を見てそれ以外にも素敵な駅がたくさんあることを知った。増便された後のダイヤで組んでも1日で回るのは困難なため一部の駅を割愛するつもりだったが、今後もう永久に見られないものである以上急遽夜行バスを予約して2日間にわたる計画を立てた。

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三宮バスターミナル23:30→出雲市駅6:35 「ポート・レイク3号」

というわけで今回の旅の始まりは三ノ宮駅に隣接したバスターミナルである。だが、ここで早速一つ問題がある。

路線名の通り三江線の始発駅があるのは江津市である。関西からここに向かう夜行バスの便はないが、隣の浜田市へ向かう夜行バスが1日1往復運行されている。

このバスの浜田駅着は5:30だ。ところが浜田から江津方面の一番列車は5:20で、これに乗らないと三江線の一番列車に間に合わない。先ほど乗り通しの列車を増便したと述べたが実はこれは既存の区間列車のダイヤを繋ぎ合わせたもので、江津駅で見ると三江線の本数自体は変わっていないのだ。次の列車は12:34までないので、このバスに乗る必要性はない。*2

そのため今回は関西から島根県に入るもう一つの系統である出雲便を選んだ。300kmほどの短い路線だが、いくつかの会社が運行しているようで夜行バスとしての需要はかなりあるようだ。

 

3列シートのため定員が多いわけではないが、ほぼ満席で発車した。一通りのアナウンスの後に消灯されたが、寝れない。カーテンもコンセントもないのでスマホを使うのは憚られる。

 

いつの間にか寝こけていたが、4時頃にどこかで休憩を取っているところで目が覚めた。距離の長い路線ではないので、乗務員は2時間ほどの仮眠休憩を取ることになっている。ドアは開かないので売店に行くことはできない。*3

 

もうひと眠りし、次に起きたのは松江駅に着こうかというところだった。ここで1/3ほどの客が降りていった。

山陰道を西に進み、10分ほど早着で出雲市駅に着いた。持ってきたアイマスクはどこかに行ってしまった。

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駅舎を外から見たのは初めてだが、出雲大社をモチーフにしているようで本殿の屋根が再現されている。出雲大社への参詣の玄関口で、繁忙期は夜行バスや東京発の寝台特急サンライズ出雲」は予約を取るのが困難になることも多い。

 

18きっぷにスタンプを捺してもらい、今回の旅がいよいよ始まった。

ホームに上がるとまだ乗るべき列車は来ていなかったが、反対側のホームにコナンラッピングとジオパークラッピングの快速列車が連結されて発車を待っていた。

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第1走者:出雲市6:49→江津8:32 323D

2両編成だがこの時間ではガラガラだ。客の大半は用務客のようで、旅行客らしき人は見当たらない。

 

西出雲で架線が途切れると、少しずつ人家が減っていく。小田の先からは日本海沿いを進んでいくようになる。

途中、田儀で行き違い待ちのためしばらく停車した。国道を挟んで海に近い小さな駅で、ホームに降りて何枚か撮った。

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この列車は高校生の通学が多いようで、大田市で多くの高校生が下車し、入れ替わりにまた多くの高校生が乗ってきた。大田市で降りた学生は1~2駅程度の利用がほとんどだったが、この辺りから乗ってきた学生はジャージの刺繍を見ると江津まで通っているようだ。

大田市を過ぎると海が見える区間は少なくなり、切通しの木々の間を通る区間が多くなった。開けたところに出ると家々や学校、さらには温泉旅館の案内とともに駅があるといった感じである。1年を刻む砂時計のある仁万のサンドミュージアムが沿線にあるようだが、座っているのと反対側の山側だったようで見えなかった。

 

定刻に江津に到着。三江線のホームには浜原からの始発列車が止まっていた。この後浜田の車両基地に回送されるのだろう。

さすがにこの時間では江津駅の待合室の人はまばらだった。とはいえ、掲示物や置いてあるものから普段の雰囲気ではないことは察することができる。

 

さて、前述の通り次の列車は約4時間後である。無論待てるわけがないので、線路沿いに歩いて駅を巡ることにしたい。

江津駅前にコンビニやスーパーはないが、歩いて10分ほどのところにローソンとゆめタウンがある。ここで飲み物と食料を求め、最初の駅のある方角に向かった。

 

江津8:55?→江津本町9:10?

今でこそ江津市街は江津駅の西側、国道9号沿いが中心部である。だがかつての江津の中心部はやや山側にあって、現在でもその付近の地名は「江津市江津町」となっている。その様子を伝えるのが「天領江津本町甍街道」で、狭い県道の両脇に赤い石州瓦の家々が連なっている。

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街並みの中ほどから脇に逸れると人家が途切れ、小山の間を通り抜けると江の川に出て、その川沿いに駅がある。三江線の江津側の最初の駅、江津本町駅だ。

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「本町」と名はつけられているが駅のホームと街並みは小山を挟んで反対側にあるため、ホームから見渡しても店どころか家すら見当たらず、ひっそりとしている。道路脇に自動販売機が1台あるだけだ。

 

車で来た先客が一人、カメラにバズーカのような望遠レンズをつけて写真を撮っていた。まもなく浜田行きの列車が来るのでその撮影も兼ねているのだろう。

待合室には簡素なベンチが備え付けられている。掲示板には「駅を汚すな」という鉄道部からの警告が書かれていた。駅ノートも置かれていて、たくさんの人の書き込みがある。

 

待合室のそばに満開の桜が咲いている。三江線沿線にはいくつかの桜の名所があるが、ここはまだ規模の小さいものである。

 

9:28、三次からの始発列車である浜田行きが到着した。2両の列車は立ち客もいて、三次での出発時間を考えるとかなり混んでいる。

前から車両を撮っていると、ホームを確認している運転士*4

「桜が満開になったねえ…山の方はまだやけど」と言っていた。

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さて、列車が出発していったので次の駅に向かう。撮りに来ていた人はもう撮影は終わりなのか、江津方面に向かっていった。

 

江津本町9:30?→千金10:04?

ひたすらに江の川沿いの細い道を歩いていく。歩道などというものは存在しないが、そもそも交通量自体が少ないので問題はない。*5

線路から一段低い川沿いに道路が敷かれている。時折山が迫っているところは鉄道はトンネルに入り、道路は回り道をするため距離は道路の方が長くなる。

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三江線のトンネルを抜けた先に寺がある。道路から見ると線路の反対側にあるのだが、踏切の類は見当たらない。これはいわゆる勝手踏切で、JRが公認したものではないが常用的に線路を越えるものとして見なされている。

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2.5kmほど歩くと、開けた場所に出た。トラクターが田を耕している、のどかな風景だ。一部草むらになっているような様子の畦道を歩くと、三江線2つ目の駅、千金駅がある。

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旧道からも少し離れていて、駅に入る道路も狭い。このためGoogle mapでは駅に続く道がないように見える。*6このため2012年に行われた三江線の増便実験において、唯一の「通過駅」だった。*7

開けた場所にあるので、ホームからの見通しは良い。駅の周辺には家屋が1軒しかないが、「ありがとう三江線 千金駅」と書かれた手書きの横断幕があった。

ここも待合室しかないが、中にあるベンチには手作りと思われる座布団が4つ置いてあった。やはり駅ノートもあり、たくさんの書き込みが見受けられた。

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千金10:11?→川平11:40?

駅のそばには小川が流れていて、それに沿って舗装された道が延びている。それに沿って歩いてみる。

最初は三江線の線路が見えていたが、次第に南東に向かう線路から離れていった。どうやら奥まったところに集落があるようで、そこへの道だったようだ。

 

1kmほど伸びていた道を引き返す。再び駅近くの開けた場所に戻ると、遠くにバス停が見えた。先ほど駅に行くときにベンチに人が座っているのを見かけたので、もしかしたらもうすぐ来るのかもしれない。

 

旧道沿いに戻り、バス停の時刻表を確認する。

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この日は水曜日である。動いていようはずもない。しかも江津市のホームページには見当たらないバス路線だった。後日調べると三江線代替バス路線の一つだった。やけにバス停が真新しいものだったが、ここ数日中に設置されたのだろう。バス停を見ていると、奥まったところにある唯一の舗装された駅の入り口から車が2台入っていった。駅巡りの最中だろう。

 

というわけで再び江の川沿いの旧道をひたすらに歩く。ひとまず先ほどのバス路線はこの旧道沿いに続いているようなので、これが1つの目安にはなる。尤も1本道なので迷う要素は少ないのだが、距離が長いので何度も地図で距離を確認するようになった。

 

この辺りは柿本人麻呂ゆかりの地のようで、この道中にも駅家、すなわち律令時代の宿泊施設の跡があるそうだ。また道端にも長歌の一節が書かれた杭がところどころにある。

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この駅間の途中で町名が変わる。そのため人家がなくなり木々の生い茂る中を通る。時折ゆったりと流れる江の川が左側に広がっているのが見える。こんなところを歩く機会はおそらくもうないだろう。

 

1時間20分ほど、距離にして5kmほど歩くと、ようやく集落が見えてきた。保育所や郵便局があるが、それでも寂れている。

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その集落の奥に駅がある。ここが江津から数えて4つ目の駅、川平駅だ。

駅前はバスのロータリーができていた。廃止前のバス停は川の対岸にあるため駅からはやや離れているのだが、廃止するにあたり狭い駅前だったのを工事して駅前まで入れるようにしたようだ。工事はほぼ終わったようで、真新しいアスファルトの舗装がなされている。元々桜の木が植えてあったそうだが、この工事と老齢だったことから3月初旬に伐採されたとのことである。

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さてこの駅は立派な瓦葺の駅舎が建っている。1930年の開業当時からの駅舎だそうで、映画の撮影にも使われている。待合室にはその映画のポスターやロケ当時の写真が貼られていた。*8かつては川平村の中心駅で有人駅、しかも行き違いのできる駅だったが、今では窓口にはカーテンがかけられ、駅舎の反対側の線路は撤去されホームだけが虚しく残っている。とはいえ味のある駅なのは間違いない。

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次の列車は約1時間後だが、隣の駅はかなり離れているのでここで待ち受けることにする。古びた写真や駅ノートを見ながら待った。廃線になってからどうなるかは分からないが、バスの待合室になるのだろうか。

 

ほぼ定刻に2両編成の列車が滑り込んできた。これに乗り込む。

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第2走者:川平12:50→??? 9425D

先ほど述べた増発便である。三次方面に向かう列車では唯一昼間に乗り通せる列車とあって、出入口まで人が詰まっている。

 

さて、この列車でどこまで行くかは実は決めていない。手元の予定表では千金でこれに乗り、川平の次の川戸で降りて、さらに1時間後に来る列車で川平に戻ってから三次に行くことになっている。だが、既に川平は訪問済みになってしまった。

 

ドアのそばから一歩も進めないような混雑だが、途中駅から人は乗ってこない。開け閉めするドアに注意しつつ、ゆっくりと進むローカル線に揺られる。

 

この列車は石見川本で江津方面の列車と行き違う。そのため川戸のほかに石見川本までの駅でもう一駅下りることができる。川戸から石見川本までには田津、石見川越、鹿賀、因原がある。このうち因原は明日訪問する予定なので、石見川越で下りることにした。

 

定刻13:22に到着し、満員の列車から下りた。車掌が乗っている列車だが、混雑しすぎでもはや精算することすらままならないようだ。当然駅員はいない。

 

さて、駅の様子を見てみる。

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今は行き違いのできないホームだが、山側の草木に埋もれた中に使われなくなったホームがわずかに見える。川平と違い、近年に線路が剥がされたものではなさそうだ。*9

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ここもかつては有人駅だったようで、小さな駅舎と窓口だった跡がある。もちろん張り紙は最近のものだが、なんとなく数十年前で時が止まったような雰囲気を感じる。やはり片隅に駅ノートが置かれていた。

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外に出てみると、郵便局と閉まっているが呉服店があった。田畑もあり、それなりに開けた場所である。川戸から伸びてきた三江線はまず石見川越までの開業だったが、当時はそれなりに大きな集落だったのだろうか。

 

40分ほどして江津行きの列車が入ってきた。これに乗り込む。

 

第3走者:石見川越14:05→川戸14:23 9426D

広島方面から乗りやすい三次10時発の列車なので、3両に増結されている。それでも3両とも人がすし詰めになっていて、やはり出入り口から奥に入ることはできない。

三江線で運転される車両の基地は浜田にある。だが最初に述べた通り増結で車両が足りなくなったため、よその車両基地の車両を繋いで運転しているのだが…

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まさかの3両すべてが色違い、しかも本職の浜田の車両は神楽ラッピングだった。*10これだけでも各所から応援に来ているかが分かる。

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山際の日陰で苔むした田津を過ぎ、定刻に川戸に到着。やはり車掌が乗っているが、精算するのはもう諦めているようにも見える。駅巡りで乗る客はほとんどいないのだろう。

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ここ川戸は旧邑智郡桜江町(現江津市桜江町)の中心で、江津~石見川本間の中では比較的利用客の多い駅だった。*11臨時とはいえ快速が運行された時も停車している実績がある。だがやはり川平と同様1999年に向かいのホームの線路が剥がされ、今では向かいのホームには地元住民が置いたという花壇と、その間に「ありがとう三江線」と掲げられているだけだ。

川平よりはモダンな駅舎が残っている。窓口のあったところはサロンになり、月2回集会が開かれているようだ。

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また地元の子供たちが思い思いの絵を描いたのが駅員の詰め所だったと思われるところに飾られている。他にも待合室には付箋で思いを綴った掲示板が置いてあったり、古い写真が飾ってあったりする。利用客こそ減ったものの、地元住民に無視された存在ではないのだろう。

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外に出ると駅前すぐそばに旅館がある。小さな旅館だが三江線沿線では数少ない宿泊施設である。サイトを見るとやはり3月末まで満室だった。

 

旅館は駅から見て左側にあるが、右側には1972年にこの地を襲った豪雨被害の慰霊碑が建てられている。下の3枚目のように、川平駅にも駅舎に浸水の跡が示された看板があった。

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少し歩くと江津市役所桜江分館があり、その先にAコープがある。そういえば昼飯を食べていないのでここで調達する。さらに県道沿いに線路を渡ると美術館があるが、ここはあまり時間がないので行かなかった。

 

駅に戻ると、地元住民らしき人が数人集まってきた。どうやらこの後の列車を見送りに来たようで、旗を配っている。…と思っていたが、どうやら配っている様子から地元住民じゃなくてもいいようだ。私はこの後の列車に乗るので旗は振れないが。

 

2分ほど遅れて列車が入ってきた。ホームで旗を振るのに見送られながらの発車だ。

 

第4走者:川戸15:45(15:47)→三次18:59(19:10) 9427D

三次10時発の列車で江津まで乗り通すと、この列車で三次に戻ることになる。行きは3両にぎゅう詰めだったが、帰りは2両である。果たして混み具合はいかに…

 

行きを考えると意外にもそれほど混んでおらず、特に2両目は席こそ埋まっているが乗るスペースは十分にあった。この列車は最後の方で夜にかかってしまうからだろう。事前の情報収集からどうやら非常に混んでいるのは三次10時発の列車と*12、江津12時発の列車*13のようで、他はまだそうでもないようだ。もっとも最終日がどうなのかは知らないが…

 

とはいえ座れないのはかなりしんどい。空くことは期待できないので、3時間以上立ちっぱなしになるからだ。2両目の運転台にある運賃箱や開かないドアにもたれたりはするが、決して楽ではない。

 

さて外を見てみると、ところどころで桜や桃が咲いているのが見える。今朝江津本町で話していた運転手曰く山の方はまだという話だったが、まあまあ咲いている。今冬は例年以上の積雪で例年にはない大雪での運休もあったが、一気に暖かくなったようだ。

また駅に「ありがとう三江線」の幕や看板が手作りと思われるような小さなものから町の商工会議所が制作したものまで、各地に飾られていた。

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三江線は過去に2度訪れているが、車窓自体は素晴らしいものである。しかし4時間以上ひたすらに山中の川のほとりを進む上に、目立った町や観光地のない路線で、しかも三次と江津の最短経路を結ぶ線形ではなかったために地域輸送の枠を出られなかった。その地域輸送も自家用車やコミュニティーバスの発展で事足りるようになってしまえば、もはや役目を果たすことはできなかったのである。

あれだけ乗っていた江津からの折り返しが少ないのも、あれを往復9時間は勘弁ということだったのだろうかとふと夕暮れの中で揺られながら思った。

 

崖沿いに線路が敷かれていることが多い三江線では、落石の乗り上げ防止のために大半の区間で30km制限がかかっている。だが浜原~口羽間は国鉄末期に開業した区間でそうした部分が少なく、70km程度で長いトンネルを次々に潜り抜けていく。普段なら70kmは決して速いわけではないが、体感では相当な速さに感じる。この区間が「三江新幹線」と呼ばれる所以だ。保線も最低限なのか、かなり揺れる。そういえば浜原発車前には「この先速度が上がりますので、揺れにご注意ください」という運転手からのアナウンスがあった。

 

その区間の駅の途中に宇都井駅がある。詳しくは次の記事に譲るが、この駅は高架上にホームがある独特の形態をしていて、その高さは日本一だった。そのため三江線の中でももっとも有名な駅であることから訪れる人が多く、JR西日本の増便のお知らせでも宇都井駅発の時刻が掲載されていた。

もちろん最後の日が近づけば訪問者も多くなったのだが、なんとこの駅にホーム柵が設置された。といっても作業員がただロープを上げ下ろしするだけの代物だが、島根県内ではおそらく初のホーム柵だろう。ホームには50人ほどがいた。しかし下を見るとかなりの車が停まっていたので、実際に列車に乗った人は10人もいなかったのだが…

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新線区間の終わる口羽で対向列車を待つため16分停車する。この間に駅前のスペースを利用して、地元の有志の団体が三江線グッズの販売をしている。「口羽駅マルシェ」というもので、口羽駅で長時間停車のある朝と夕方に開店し、手ぬぐいやガイドブックなどの販売をしている。

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明日の朝の販売でグッズは購入する予定なので、売り物を確認した後は一旦少し駅を離れる。

先ほど述べたが浜原~口羽が開業したのは国鉄末期の1975年で、それまでは江津~浜原の三江北線と三次~口羽の三江南線に分かれていた。そのため全通を記念した記念碑が駅の近くに建てられている。同様のものが浜原駅にもあるが、これも明日訪れる予定である。

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待合室がここにも設置されている。増便まではこの駅で折り返しの便もあり、口羽自体が羽須美村*14の中心部であったこともありバスの待合室としての活用もあるようだ。

 

さてそろそろ対向列車が来ようかというタイミングでホームに戻ると、その列車が遅れているとの放送があった。芸備線が遅れているようで、その接続待ちの影響とのことだ。ホームに戻ろうとしたら、構内踏切の木がべこべこなことに気づいた。長いこと交換がなされていないのだろう。踏み続けていると駅にいる作業員に笛を吹かれた。

10分ほど遅れて対向列車が入ってきた。2両繋いでいるが、かなり空いている。最終の江津行きだが、大半が夜にかかっているからだろう。

 

再び列車に戻り、引き続き2両目の運転台のそばで立ち続ける時間が始まった。もう日も大分落ちてきて、山際に消えようとしている夕焼けが綺麗である。とはいえ立っている場所が進行方向右側なので、大半は線路脇まで迫っているがけしか見えない。

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近くにいた尾道からきたという年配のグループが話しかけてきた。三江線を訪れるのは初めてだそうで、三次駅まで車で来て江津まで往復したとのことである。グループの一人の男性が必死になってカメラを構えているのは、「普通列車なのに通過する駅があるらしいけど、それを撮りたい」とのことだ。

これは長谷駅のことで、午前中の三次方面と午後からの江津方面の列車しか止まらない駅である。だがこれはかなり三次寄りで、もう少し後であるということを伝えた。もっとも実際に通過したときは暗くて何も分からないような様子だったのだが…

 

尾関山でようやく三次市街に入る。ここで降りることも考えていたが、かなり疲れてしまったので次の三次まで乗る。

定刻から11分ほど遅れて三次に到着。半数ほどは接続待ちをしていた広島行きの芸備線に乗り換えたようだ。

 

今日は旧三江北線の駅の訪問だった。予定では4駅訪問だったが、石見川越を含め5駅の最後の様子を見ることができた。明日は三江南線や新線区間の駅も訪れる予定だが、これをするためには5時半の始発に乗るのが必須である。しかもネットでの情報だとかなり混雑しているらしいので、早めに駅に向かいたいところだ。

*1:区間の両端とも他の路線に接続している路線

*2:もっとも口コミ情報ではこのバスは早着が多いそうなのだが、さすがにそれを前提とした計画は立てられない。

*3:トイレが車内に設置されている

*4:この列車はワンマン列車である

*5:ちなみに国鉄時代からいわゆる赤字83線、すなわち廃止を検討すべき路線の対象になっていたが、廃線を免れた理由として「並行する道路が整備されていない」とされた。現在は江の川対岸の国道が概ね整備されていて、また利用状況も低迷したため廃線となった。

*6:舗装された道は一応存在する。

*7:行き違いのできる駅が極めて少ないことから列車の増便は不可能とされたことにより、バスで運転された。ちなみに一部の便では9人乗りのジャンボタクシーによる運行で、不通になった時も主にこれが使われた。このことからもいかに普段の利用客が少なかったことが伺える。

*8:天然コケッコー」(2007年制作)、「砂時計」(2008年制作

*9:川平の交換設備撤去は1999年。石見川越は不明だが、1999年以前なのは間違いなさそうである

*10:江津方から木次色、美祢色、浜田色(神楽ラッピング)。2枚目、3枚目は川戸で撮影

*11:2015年での1日平均利用客は32人で、石見川本に次ぐ利用客数だった。かつては250人近い利用があり、やはり駅員が置かれていた。

*12:9424D,9426D

*13:9425D

*14:現邑智郡邑智町