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No.10-2 三江線最終探訪2日目(2018/3/29~30)

更新が1年ほど止まってしまいました…もう1年以上前の古い情報ですが、廃線間近の三江線の様子を最後までぜひご覧ください。

 

 

なお、この日の第1走者と第4走者の全区間前面展望動画がYouTubeにアップされています。こちらも合わせてどうぞ。

第1走者:(最初~1:33:00)

www.youtube.com

 

第4走者(1:45:00ごろ~3:04:00ごろ)

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三次駅に到着後は夕飯を摂り、ホテルに投宿後はすぐに寝てしまった。

そして起床は午前3時30分。始発が5時半なのを考えても早いが、とりあえず三次始発の列車には座りたいので起きて準備を始めた。当然のことながら眠い。

 

4時少し前にチェックアウトした。過去何回か早朝にチェックアウトしているが、文句なしで最速である。当然ながら真っ暗で、人も車も通っていない。唯一、カープ戦の前売り券の行列がショッピングモールの外に並んでいるだけだ。

 

駅に着くと既に15人ほどがホームに並んでいた。2両編成の乗車口にそれぞれ散らばっているが、やはり1両目の前側が若干多い。私は1両目ボックス席を確保するため、1両目の後ろ側の列に並んだ。

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5時過ぎから少しずつ人が増えてきた。早めに行ったのは正解だったようだ。

一方でホームの外の留置線では点検が始まっていた。ブオンブオンとエンジンが唸りを上げている。これから広島方面に向かう列車の準備が始まっているのだ。

 

さて、三江線の列車は三次駅3番線からの発車である。しかし三江線が発車する前に福塩線の一番列車が同じ3番線から発車する旨の放送が流れ始めた。本来この時間は駅員がいないのだが、この混雑に合わせて朝早くから駅員を配置しているようだ。そのため本来は降りてから18きっぷにスタンプを捺してもらわなければならないのだが、この日は乗る前に捺してもらうことができた。ざっと見まわすと2/3ほどが18きっぱーのようだった。その中には昨年末に芸備線内で話しかけてきたスキンヘッドの男性もいた。向こうも私のことを覚えていたようで、お互いに挨拶を交わした。

結局福塩線の一番列車には誰も乗らないまま発車した。そして5:30頃、2両編成の三江線の一番列車が入ってきた。ここから三江線の列車が発車するのも、たった15回しか残っていない。

 

予定通り進行方向右側のボックス席を確保し、発車を待つ。程なくして席が埋まり、発車時には各車両10人ほどの立ち客になっていた。

 

第1走者:三次5:38→宇都井7:12 9422D

景色の見やすい席を確保したはいいが、窓が結露していて肝心の景色がよく見えない。三次のあたりは底冷えする地形なのと、車内は満員というほどではないにしても相当数の人が乗っているせいで温度差が大きいのだろう。手で結露を取りながら写真を撮っているが、タオルを持って来ればと後悔している。ちなみに慣れている人はというと、自前のタオルを持ってきていて、特に右側の窓を拭きに回っている。

少しずつ明るくなってきた江の川の景色が広がっている。何度もカメラを切るが、スリガラスを通したような写真しか撮れない。

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その後もしばらく結露と格闘しながら車窓を撮っていると、6:35に口羽に着いた。ここで26分も停車する。ここで三次方面の一番列車と行き違いをするが、これはすぐの発車なので時間調整の意味合いが強い。

この時間を利用して、前の記事でも紹介した三江線のグッズ販売が行われている。昨日の夕方に品定めをしたので、ある程度人が減ってから買うとしよう。それまでは車内の様子を観察したい。

 

停車時間が長いので、この時間を利用して乗客が切符を持っていないことを運転士に言っている。しかし運転士は切符を発行する権限がないことから、江津まで乗り通す客には江津駅の改札で精算するように言っている。

しかし尾関山から乗り、浜原で折り返したいというおばあさんに対してはそうもいかない。浜原で確かに三次行きの列車と行き違いをするが、浜原での停車時間が僅かなことから一つ手前の沢谷で降りることを勧め、そこまでの運賃を調べていた。*1しかし沢谷は小さな駅で、しかも周りに何もない駅である。その会話を傍で聞いていた私はさらに一つ手前の潮で降りることを提案した。ここも小さな駅だが、駅のそばには桜並木が続いていることで知られている。昨日通った時には少なくとも七分は咲いているのを見たので十分だろう。運転士は改めて潮までの運賃を確認し、おばあさんに伝えた。 

 

ある程度人が引いたことを確認してグッズを購入した。そばでサボ*2のレプリカが販売されているが、これはどうやら別団体が便乗して販売しているようだ。しかし本物でもないのに妙に高いのはなぜだろうか。

 

購入して車内に戻ると、ほどなくして放送があった。口羽から新線区間に入るため速度が上がり、揺れが大きくなる旨の放送だったが、こういう理由での放送は他で聞いたことがない。

 

新線区間と旧三江北線*3・三江南線*4の違いとして、旧線区間江の川沿いに忠実に進み橋やトンネルが少ないのに対し*5、新線区間では多くのトンネルや橋を駆使して直線的に進んでいることが挙げられる。

そうした新線区間の中に、本日最初の目的地である宇都井がある。まずはこの画像を見てほしい。

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高い橋の上に駅のホームがあるのがお分かりいただけるだろうか。そう、ここ宇都井駅は地上からのホームの高さが日本一という記録を持っている駅である。その高さは約20mで、ほぼ5階建てのビルに匹敵する。利用客が少ないためエレベーターやエスカレーターは設置されておらず、利用する場合は116段の階段を上らなければならない。*6

この形態から「天空の駅」と呼ばれ、何度か報道に取り上げられたことがある。*7ちなみに三江線の各駅には石見神楽の演目の名前が付けられているが、この駅の「塵倫」とは翼を生やして天空を飛び回る鬼のことを指すのだそうだ。

 

当然のように駅ノートが設置されているのだが、ここを訪れる数日前にNHKにてこの管理人が全国放送された。近くに住む90歳のおばあさんが管理していて、月に一度新しいノートを買うために宇都井から三次まで利用しているとのことである。

先述の独特の駅構造であることも相まって、鉄道ファンでなくともこの駅を訪れに来た人が多いようだ。大半は車で来たようで駅のそばに車が列をなして停まっているが、中には列車で訪れた人もいる。

ちなみに駅ノートには鶴瓶の家族に乾杯のロケで訪れた笑福亭鶴瓶高橋一生のサインも書かれていた。しかし5月予定だった放送はなくお蔵入りになった模様である…

 

改めて駅や周辺の様子を見てみる。駅自体が山に囲まれた地域で、ホームのすぐ外は両方面ともトンネルである。宇都井の集落を通るように線路を敷くとこういう形状になったとのことで、さらにダム建設が行われても線路の架け替えが不要なようにしたという。もっとも後者は実現しなかったが。

待合室は殺風景だが、ベンチには座布団が置かれている。隅には何十冊もの駅ノートが置かれ、旅人たちの想いが綴られている。こまめに掃除がなされているようで、落ち葉やゴミなどは見当たらない。

階段は地元の小学生による周辺地域や駅の説明が貼られている。10段ごとに残りの段数とともに手書きで貼られている。階段は緩いが、段数が多いので楽ではない。毎日の利用も一苦労だろう。*8

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駅のそばには地元の名士の頌徳碑が建てられている。医者の傍らで三江線の敷設に尽力したとのことである。また周辺は少しの集落と田、小川がある程度だが、その集落の中に小さなカフェがある。朝早いのでまだ営業していなかった。

改めて遠くから見るとこんな小さな集落に立派な高架駅があることに違和感がある。これでも島根県では初めての高架駅だ。

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ひとしきり駅の訪問が終わったので待合室で待つ。少しずつ見送るであろう人が増えてきた。毎年10月にはイルミネーションが行われていたが、今日の人出はそれ以上だろう。将来的にミニトロッコ列車を動かす計画もあるようだが、交通の便の良くない宇都井で果たして実現するかどうか気になるところである。

 

警備員が整理しながら、次に乗る三次行きの列車が滑り込んできた。乗ったのは4人だった。

 

第2走者:宇都井8:14→長谷9:06 9423D

江津始発の一番列車は折り返しで最も混雑する三次10時発の列車に充てられている。そのため3両繋いでいて、また江津や浜田周辺の宿泊施設が比較的少ないこともあって空いていることが多い。廃線2日前でもこの傾向は同様で、途中駅からでも楽に座ることができた。

元来た線路を引き返す。時折並走している車やカメラを構えた人を見かけるが、乗り降りする人は皆無なのは同じである。この列車は口羽での停車時間は短いので、グッズ販売はなく駅前はひっそりとしていた。

 

江平駅の近くには常清滝という日本の滝百選にも選ばれた滝があり、三江線の車窓からもちらりと見ることができるという。見えてもほんの一瞬でしかないが、探してみる。

しかし目を凝らしてみたが見当たらない。何を隠そう、見ていたのは進行方向右側で、滝があるのは進行方向左側だった。

 

旧三江南線はほとんどが江の川沿いの狭い県道に沿って線路が敷かれている。その中に次に目指す長谷駅がある。

 

列車は定刻に到着した。下りたのは私を含め3人、ホームに2人いたが乗ったのはいなかった。

ここもまずは下の画像を見てほしい。

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この辺りは1日5往復の運行だが、三次方面は朝方の2本、江津方面は午後の3本しか止まらない。つまりこの列車が今日の三次行きの最終列車なのである。現在の三江線では唯一通過する列車がある駅だ。

過去に三江線を訪れた時はどの列車も通過していたため、この駅に止まる列車に乗ることが最初で最後の経験である。車内の運賃表示器を撮らなかったことを少し後悔した。

 

さて、駅に着いたはいいがホームから見える範囲に人家が見当たらない。*9少し下流側に江の川の堰が見えるだけである。

長いホームが残っているが、途中で途切れて使われていない部分は立ち入り禁止になっている。立ち入りが禁止されているホームはもう何十年と使われていないのか、荒れ果てている。

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ホームの一段下に小さな待合室がある。駅名の板はしっかり残っているが、JR西日本のプラスチックの板はボロボロになっていた。

中に入ると木造りのベンチと掃除道具とともに、誰が描き、そして誰が置いたのか分からない絵が置かれていた。しかしマジックで落書きがされている。

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さて、どうしてこういうダイヤになってしまったのか説明が必要だろう。それはこの駅の置かれた経緯に由来している。

1969年まではこの付近に小学校の分校があったものの、過疎化により廃校になってしまった。そのため尾関山駅近くの小学校に通うことになったが、長谷から7kmも離れているため徒歩で通学することは困難なことから、仮乗降場*10として開業した。待合室は当時の教育委員会によって設置されたものだという。

そのためダイヤは三次方面への通学に特化したものとなった。現在は利用客が皆無となったが、ダイヤは50年前のものを踏襲し続け現在に至っている。

 

次の江津方面の列車は1時間後だが、この列車は長谷を通過する。そのため隣の駅まで歩かねばならない。そう遠くはないが、隣の駅も見てみたいので15分ほどで離れる。

 

長谷9:20?→船佐9:47?

 

というわけで、隣の駅まで江の川沿いの県道を歩く。時折車が通るだけの狭い道だが、突然現れてくるので右側を歩くことを徹底する。同じことをする人がもう一人いるようなので、その人についていくことにする。

歩きだしてすぐに謎の中間点の立て札があった。何の中間点かわからないが、少なくとも駅間の中間点ではない。

また中途半端な位置に市境がある。とはいえ合併は比較的近年行われたからか、道路標識は旧町名の古いものだった。狭い道で舗装もよくないので使われることが少なく、長年見逃されているのだろう。

さらには時折自動車一台がやっと通れるような狭い部分がある。そうした場合にはこうした表示器が設置されていて、注意を促している。

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市の中心部へと別れる交差点付近に、カメラを持った地元住民らしき人がいる。ここ毎日ここで撮っているそうで、何人かが長谷からここを通っているのを見かけているとのことである。

 

その後も10分ほど三江線江の川に挟まれた狭い道を歩き、ぱっと開けた場所に出ると隣駅船佐に着いた。2.3kmとのことだが、体感ではそこまで遠いように感じなかった。

ここ船佐はホームの形状と待合室の位置から行き違いを想定して作られたようだが、結局本数が増えることなくその準備工事は無駄に終わった。ホーム上にベンチはないが、線路のない側がベンチのようになっている。

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安芸高田市のバスがここを終点としているのでそれなりに需要はあるのだろう、待合室はかなり広くバスの転回スペースもあるため開けた場所にある。ポットンではあるが便所もある。

 

数軒ばかりの家が今はあるきりだが、太平洋戦争中にはここにある発電所への米軍の空襲があったらしく民家1軒と7人が犠牲になったという。広島県内の空襲は呉・福山に集中し、山間部への空襲はこの1件だけだったとのことである。

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口羽で買ったものを改めていると列車が来た。乗り込んだのは2人だった。

 

第3走者:船佐10:22→石見川本12:18(12:25) 9424D

広島からアクセスしやすい三次10時発の列車とあって、3両編成の列車は超満員である。つり革や握り棒すらつかむこともままならないほどの大混雑だ。*11これでは車窓を見ることはおろか、身動きすらままならない。身の安全を守るだけで精いっぱいだ。初めてここを訪れて三次から2時間半立ちっぱなしの人はご愁傷様と言わざるを得ない。

運賃箱やトイレの壁を使いながらなんとか揺れる車内の中で立っている。幸か不幸か乗り降りする人がいないが、それは逆に終点まで2時間もこの状況を耐え凌がなければいけないことでもある。下手な通勤ラッシュより辛い。

 

多客のせいか少しずつ遅れが出たようで、7分ほど遅れて石見川本に着いた。ここで昼飯を摂りたいところだが、今日は先を急いで駅巡りを優先する。

 

石見川本12:30→因原インフォメーションセンター12:37 おおなんバス(便数なし?)

マイクロバスが駅前に入ってきて方向転換した。ここを始発とする隣町邑南町が運行しているコミュニティバスで、邑南町の中心部とを結んでいる。これに乗り、隣駅の因原へと向かう。3人を乗せての発車だった。

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コミュニティバスに乗るのは初めてである。運賃箱はあるが、路線バスでよく見かける電光掲示板はない。アナウンスもなく淡々とバス停を通過していく。通っているのは江の川の対岸を走る国道だ。

降りるのは川本町の道の駅だが、これも何も告知がなく止まった。降車ボタンはあるが意味がない。ここで私ともう一人が降りた。

 

道の駅に併設し、三江線沿線では数少ないコンビニが置かれている。石見川本駅前はごった返しているが、ここはいつもと変わらない様子に見える。とはいえ川本町の中心部なので、人や車の数はそこそこ多い。

この近くに因原駅がある。この旅9つ目の訪問駅だ。

 

昨日訪れた川平や川戸と同様、開業した1934年に建てられた木造の立派な駅舎が残っている。かつては駅員がいたものの無人となり、また行き違いのできる駅だったが駅舎の反対側の線路が撤去され、また待合室には古い写真が飾ってあるところまでは同じである。しかし、先に述べたこの2駅とここ因原とでは異なる点が1つある。

無人駅となれば駅の窓口や詰所は不要になる。そのいらなくなったスペースを利用し、運送会社の事務所が置かれているのだ。広い待合室の隅に秤や台車が置かれているのはその運送会社が使っているものだろう。

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かつてはこの駅は川本町域の貨物駅という扱いだった。駅の外側、江の川側に広大な貨物駅があったのが古い航空写真を見ると分かる。江の川流域で伐られた木材を集積し、ここで貨車に乗せられて運ばれていったのだ。しかし1982年に貨物営業は廃止され、貨物駅の跡地は先ほどの道の駅やコンビニ、道路に転用されている。

こういう歴史的経緯があるからかどうかは分からないが、周辺地域を担う運送会社の拠点になるのも納得である。

 

さて、この駅は使われなくなったホームにも立ち入ることができる。大抵はこうした場所は立ち入り禁止になっているのだが、道の駅の駐車場の中に階段があるので立ち入ることが可能だ。満開の桜と絡めて撮影でき、また見通しの良い駅という立地条件もあって、多くの撮り鉄が三脚にカメラを取り付けて到着するのを待っている。

 

満開の桜並木が続いているのみならず、駅の中にまで満開の花をつけた枝がせり出してきている。またホームにも雑草が茂り、江津寄りのホームの端はもう見えなくなっている。もちろん線路までは延びてはいないが、1999年に使われなくなったホームについては既に自然に還ろうとしているのだ。ちなみに駅名標はまだ残っているが、2010年につけられた神楽の駅名表もなぜかこちら側にだけ設置されていた。

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昼飯をコンビニで求め、待合室で食べるとちょうどいい頃合いだ。ほぼ定刻に入ってきた三次行き列車に乗り込む。

 

第4走者:因原13:37→潮14:48(14:56) 9425D

昨日川平から石見川越まで乗車した際にも乗った、三次方面への列車では最も混雑しているとされる列車である。昨日は超満員だったが、今日もそうだろうか。

 

2両目最後部から乗車したが、昨日ほどではない。少なくとも第3走者の列車のような混雑ではなく、通路にはまだ人が入る余地が十分に残されている。2両編成ではあるがこの様子なので波があるのだろう。

後ろの運転席を見てみると、運転台に備え付けられている道具のチェックリストがあった。運賃早見表や時刻表と言った運転業務に欠かせないものはもちろんだが、目を引いたのは「道具箱」と「ノコギリ」である。これは三江線に限らずこの列車の運転区間では線路上に落石や倒木が頻発するからであり、そうした場合の対処が必要だからだ。

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さて、今日は空いていると思っていたら、次の石見川本で大挙して乗ってきた。石見川本で折り返す客か、あるいはツアーガイドらしい人もいるのでツアー客か。*12何にしてもいきなり寿司詰めになってしまったが、今回はドア付近の握り棒が近くにあるのが救いだ。

 

発車間際に川本町の町長が入ってきて、三江線がなくなることの残念さと廃線してからも訪れてほしい、ということを訴えかけていた。もともと川本町は島根県西部の行政の中心地だったが、こうした機能はほぼ浜田などに移され寂れた町になっている。

 

さて、これから1時間ほどはやはり満員の中で揺られるのを覚悟しなければならない。ゆっくりと進んでいくのはいつものことだが、人気の少ないローカル線の列車が満員であることへの違和感は拭えない。

やはり狭いのがきつい。廃線間際というのはこんなにも人が来るのかというのを身をもって実感している。

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順調に進んでいたが明塚で抑止がかかった。とりあえずホームに降りて体をほぐす。見渡せば田畑の多い田舎の小さな駅だが、それでも小さな横断幕が掲げてあった。

7分ほど遅れが出てしまった。次に降りる駅も1時間ほどしかないので、これ以上の遅れは避けてほしいが…

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このまま7分ほど遅れて潮に着いた。既に多くの人がホームでカメラを構えている。

 

潮は新線区間にある駅で、江の川のほとりの開けた場所にある。すぐそばを国道が走っていて、近くには小さな商店もある。

だが何より随一の見どころは駅から見られる景色と、国道沿いの桜並木だろう。江の川やほぼ満開の桜と絡めて多くの撮り鉄が集まっているのもこのためだ。冬の寒さが厳しく満開に廃線は間に合わないと予想されていたが、ここ数日の暖かさで一気に開花したようだ。

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このブログでも何度か述べているが、山中の川沿いにある路線は本当に美しい。潮駅は三江線の中でもそのハイライトにあるといって差し支えないだろう。三江線には分不相応な長いホームと*13、小さな待合室があるだけのひなびた小駅だが、宇都井に次いで有名な駅であるのも納得である。もちろん駅ノートもかなりの数が置かれている。しかも何者かが寄贈したのか、うしおととらの文庫本まで置いてあった。駅名と被ってはいるが、当駅とは一切関係はないはずである。

 

さて駅から線路沿いに歩いて5分ほどのところに、小さな温泉宿がある。潮温泉という温泉が湧き出しているが規模は小さく、温泉宿はここ大和荘だけである。日帰り温泉もできるので、カラスの行水にはなるが入ってみる。

名前の通り、塩気の強い温泉である。山奥ではあるがこんな地名がつけられたのも道理だ。

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時間の関係上20分少々で上がることになったが、一度こうした宿に泊まってゆっくり浸かってみたいものだ。

なお、大和荘はリニューアルのため2018年5月末に休業となっている。2020年4月にリニューアルオープンとのことだ。

 

駅に戻っている途中、線路の下をくぐって河原に降りられる場所が何箇所かあるのを見つけた。渡し船か、それとも川魚の漁船の船着き場に使われていたのだろうか。もやいなどは残っておらず、真相は不明である。

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ちょうどいいタイミングで列車がやってきた。三江線、最後に乗車する列車である。

 

第5-1走者:潮15:53→浜原16:04 9428D

 

三次行きの増発列車は非常に混んでいるが、この江津行きの増発列車はかなり空いている。最後の方が夜にかかってしまうのもあるが、江津から先の交通手段が少ないのもあるだろう。

 

この列車には以前三江線を乗車した時に同行していた乗車率氏が乗っている。増発便の乗車率の調査と、石見簗瀬の画像データを消してしまったので撮り直すのが目的とのことだ。

 

この列車は浜原で1時間ほど停車するため、その気になれば隣の粕淵まで歩いて待ち受けることができる。距離にして2kmくらいしかないので、駅を見る余裕もある。浜原で降りることにした。

浜原は三江北線のかつての終着駅で、行き違いのできる駅でもある。この列車はダイヤ改正前は三次発口羽行きと浜原発江津行きを繋ぎ合わせたもので、浜原発の方は江津15時発の到着を待っての発車だった。それがそのまま残っているためこういうダイヤになっているのだ。

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浜原16:14?→粕淵16:42?

 

浜原駅前は賑わっていた。口羽で見かけたグッズ売りがいて、棚の前に人が集まっている。その様子を尻目に、旧街道と思われる町中を歩き始めた。とはいえ駅前を離れると人の気配はほとんどない。

他の地域と同様に既に真新しい代替バスのバス停が立てられている。代替バスは全線を通しで運転はせず、3つの系統に分断されることになっている。

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線路と道路は少し離れている。日は大分傾いているが人気はなく、少し不安になってきた。

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歩くこと15分、道路と線路が立体交差する場所に出た。江の川を渡る橋の近くにあり、見栄えが良いので三脚を立てた人が何人かいた。

線路は江の川の堤防を切り通しているため陸閘門があり、大雨で氾濫の恐れがある際には閉鎖される。*14実際に使う機会はなかったが定期的に訓練がされていた。廃線後は完全に閉鎖されたとのことで、もう開けられることはないだろう。

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今いる美郷町はかつて三瓶山への観光の拠点となっていた。このため三瓶山への案内が所々に見られる。「三瓶そば」なる看板もあった。現在は大田市からのアクセスが一般的だろう。

 

浜原を出て約30分ほどで粕淵に着いた。美郷町の中心駅で、商工会議所と併設されている。駅自体は無人駅なので、駅の方がおまけのようにも見える。

木目調のモダンな待合室がある。壁にはバスの時刻表や観光案内などが張られているのに混じって、沿線の写真が飾られている。

ホームに出ると元は1面2線だった名残が残っている。ホームの向かい側には梅が満開になっている。

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ホームには数人がいたが、三次行きにも、その10分後に来た江津行きにも乗る人はいなかった。

 

第5-2走者:粕淵17:12→江津18:57 9428D

 浜原で降りた列車が追い付いてきた。三江線の列車に乗るのはこれが本当に最後だ。

夕方にもなると沿線で見送る人はほとんどいない。乗車率氏が降りた石見簗瀬も周りに人はいなかった。北線で時々見られる行き違いの設備を撤去した駅のためかつては比較的利用があったのだろうが、今はその面影もない。

 

やはり新線区間と揺れが違う。保線が80km運転に対して最低限なのか、そもそもキハ120という車両の特性が高速運転に向いていないせいなのか判断が難しい。

 

石見川本まで戻ってくると、やはりまだ法被を着た人たちがいる。この賑わいも残り2日間だろうが、どう感じているのだろうか。

 

なおもゆっくりと江の川沿いを下る。鹿賀で1人乗ってきたが、ほぼ動きはない。川戸の辺りで日没となった。

 

定刻に江津着。次の列車に乗り換える。

 

乗車位置で待っていると反対側のホームで折り返しの整備を行っていた。最終の浜原行きになる。

思わず軽く一礼し、「ありがとう、お疲れさま」の一声が漏れてしまった。乗る機会が決して多くはなく、沿線に縁もゆかりもある路線ではない。それでもこういう行動をとってしまったのは、三江線の魅力に取りつかれていたからかもしれない。次回訪れるときは車になるだろうが、廃線跡を巡ってみたいものである。

 

第6走者:江津19:02→出雲市20:49 336D

出雲市行きの普通で、三江線と同じ浜田のキハ120の1両が使われている。

同じ車両でも三江線内とは高速域の乗り心地が明らかに違う。かたや廃線間際の赤字ローカル線、かたや特急が毎日行き交う地方幹線*15とでは比べてはいけないのかもしれないが。

 とはいえ乗客はそれほど多くない。大田市周辺で高校生が降りてしまうともうガラガラだ。

 

夜の日本海沿いを駆け抜け、明るい大きな駅が見えてくると終点の出雲市だ。38時間ぶりに戻ってきた。

帰りもポートレイクで神戸に帰るが、運賃の安くなる松江から乗る。このためここで乗り換える。5分の乗り換えで、ホームの向かい側に既に止まっている。

 

第7走者:出雲市20:54→松江21:34 290M

今通っている山陰本線出雲市から*16伯備線の分岐する伯耆大山まで電化されている。このためこの区間気動車と電車の入り混じる区間だ。

乗っているのは岡山の2両編成の115系である。伯備線の新見以北は需要が少ないため、これに合わせて短編成化し、さらにワンマン運転にも対応している。自動放送の音声が流れているが、検札のためなのか車掌が見回っている。

 

さて短編成化した結果、編成の両側で見た目がかなり異なる。片方は国鉄時代に先頭車にされた車両で、オリジナルの「顔」を備えている。だが反対側はJR西日本になってから先頭車にされた車両で、工程の簡略化と改造コストの削減を目指した結果とても同じ列車とは思えない見た目である。

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それほど遅い時間ではないはずだが1両に数人しかいない。出雲市の夜は早いのか、そもそもこの時間に松江に向かう需要自体が少ないのだろうか。

 

定刻に松江着。入れ替わりに多くの人が乗ってきた。米子の方に帰るのだろう。

 

さて、ここまで食事をしていない。とはいえ駅前の飲食街は既に暗くなっており、1km近く離れた国道沿いに行かないと開いている店はないようだ。バスは23:15発なのでかなり余裕はある。

 

再び駅に戻り、バス乗り場で待つ。乗るのは10人ほどのようで、かなり需要があるようだ。

 

松江駅BT23:15→三宮BT5:30「ポート・レイク4号」

 

行き同様の3列夜行バスである。松江駅を発車すると程なくして照明が落とされた。

2日間かなり歩いたからだろう、熟睡してしまったようである。

 

ほぼ定刻に三宮BTに着いた。疲れが取れていないのか、少し足取りが重い。

もちろん帰ってから自室のベッドで寝たのは言うまでもないだろう。

 

 

 

2018/3/31、三江線最後の列車が三次・浜原・江津に到着した。

江津行きの最終列車は猪と衝突したようで、20分ほどの遅れが出ての到着だったようである。

三次行きの最終列車は芸備線木次線経由で浜田へと回送された。

浜原止まりの列車は日付が変わるまでに江津に回送され、沿線の踏切は全て役目を終え、江津と三次の駅には車止めが置かれた。

駅は待合室を備えた一部の駅はバスの待合室になったが、多くの駅は立ち入り禁止のテープや柵が置かれた。

 

そして、JR西日本からこんなメッセージが残され、運転が終了した。

 

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ローカル線の存廃問題、ひいては閑散地域の公共交通網の維持は非常に難しい。三江線も例外ではなく代替バスの利用も決して多いとは言い難く、10年後、20年後にそのまま残っているという保障はない。それくらい住む人が減っているのだ。そうした地域の公共交通機関を残したいのなら、行政も出費を伴うアクションを起こさなければならないような時代である。2016年に三重県内の名松線が復旧したときにも、2021年の只見線の不通区間が開通する予定に関しても、沿線自治体が決して小さくない復旧工事の負担と、開通してからも路線の維持に協力する条件をつけてのことである。

赤字だからとむやみに切り捨てるわけにはいかないが、かといってそれに胡坐をかいてもいられないのだ。

 

今後こうした例は全国で見られるだろう。行く末を見守りたいものである。

そして廃線から1年以上経った沿線の様子がどうなっているのか、改めて訪れたい。

*1:車内に掲示してあるものは山陰線のもので、三江線のものは運転台にしまわれていた

*2:行き先や種別を記した看板で、窓の下の枠に挿して使う

*3:江津~浜原

*4:口羽~三次

*5:三江北線区間は浜原~粕淵間での1ヶ所を除き一度も江の川を渡らず、橋があるのは小さな支流だけである

*6:ちなみにトイレは地上にしかない

*7:2018年正月の「ゆく年くる年」など

*8:いたかどうかは気にしてはいけない。

*9:東側に数軒ばかりの家が建っているが、駅からは少し離れている

*10:国鉄本社の認可によって設置された駅とは異なり、地方管理局の判断で開業された乗降場。もともと周辺住民以外の利用を想定していないため、全国時刻表に時刻は掲載されなかった。国鉄民営化と同時に駅に昇格し、全国時刻表に発着時刻が掲載されるようになった。

*11:もともと車両自体が混雑を考慮した車両でないことも一因だが

*12:建前上JR西日本は2月以降の三江線の団体客受け入れを認めていない。しかし旅行会社が個別に乗車券を購入し、三江線の一部区間に乗車するツアーは平日、休日を問わず催行されていた。

*13:おそらく4両対応

*14:三江北線区間にはここ以外にも集落に入るのに堤防を切り通している個所があり、その区間には陸閘が設置されている

*15:もちろんこの旅行の後の話だが、西日本豪雨山陽線が不通になった際には貨物が迂回している

*16:正確には車庫のある一つ西隣の西出雲から